sat's blog

2006/01/28

写真展『VIET NAM』

写真展『発掘された不滅の記録 1954-1975 VIET NAM』(東京都写真美術館)http://www.syabi.com/を見に行った。

ベトナム戦争ほど多くの写真家により記録された戦争は他にないのではないだろうか。
そして、あれほど多くの写真家が命を落とした戦争も他にはないだろう。
なぜ写真家は命をかけて戦場に行くのだろうか。
多くの写真家が最前線を訪れ身の危険を感じながら写真を撮った。
ロバート・キャパや沢田教一など南北あわせて数百名の写真家が命を絶った。
何のために?

戦争の当事者たち、アメリカ軍も北ベトナム軍、解放戦線も武器としての写真を活用した、プロパガンダである。
写真家石川文洋氏が語っていたが、ベトナム戦争当時の従軍写真家のアメリカ軍での対応は佐官クラスとしての対応であったという。
国民の戦意高揚としての力として写真を見ていたのではないだろうか。

しかし、写真の力は「戦場で何が行われているのか」をも暴いてしまった。
今回の写真展になかったが「処刑される解放戦線ゲリラ」の写真は戦場で何が行われているかをさらけ出してしまった。
沢田教一の有名な写真「自由への逃亡」やヒュン・コン・ウットの写真「ナパーム弾の誤爆から裸で逃げる少女」は戦争の犠牲者がどんな人たちであるかを明白にした。

いま、ベトナム戦争が終結してから30年経った、50年前から30年前の作品を見るとき、国家のプロパガンダや写真家の意思がどうあれ、カメラは真実をありのままにしか写せないという特色がことの本質を雄弁に語っているように思えてならない。


イラクやアフガニスタン、チェチェン、パレスチナで行われている戦争はどうだろう。
軍隊は写真の力を恐れ写真家を最前線に送ろうとはしない。
演出された写真が作られ、検閲され送り出されてくる。

しかし、中には軍隊を怒らせる「輸送機に詰まれた戦死者の棺の群れ」「捕虜に対する虐待行為」が流れ出す。
機会は少なくなったが、写真家たちの努力が何が起こっているか、をさらけ出していく。


写真の力の根源は「カメラの前にあるものを忠実に写し撮ることしかできない」ということにあるのだ。

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