コニカミノルタプラザを訪れる
コニカミノルタプラザを訪れた。
■コニカミノルタプラザ http://konicaminolta.jp/about/plaza/index.html
コニカミノルタ特別企画展 地球の上に生きる2007 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展
DAYS JAPAN は創刊からしばらくの間しばらくの間購読していた。
真のフォトジャーナリズム詩というのは、日本ではこの雑誌を置いて他にはあるまい。
しかし購読を中断し、そのままとなってしまった。
それはなぜか。
「地球が100人の村だったら」という言葉がはやったことがあったが、そのうち何人が幸福であり、安心に暮らすことができているのだろうか。
そして、その不幸であり、暮らすことに不安を抱いている人の何人が報道されているのだろうか。
DAYS JAPAN は、その不幸であり、暮らすことに不安を抱いている人のうち、大手ジャーナリズムが目を向けない、目を向けられないことに遠慮もなく目を向け続ける。
すべてを伝える、これは“偏向のないジャーナリズム”の証なのであろう。
しかし、とにかく内容が重いのである。
しかも救いがほとんどない。
DAYS JAPAN に掲載される写真の一つ一つを見るということは、非常にエネルギーを使う。
そして、自分の写真があほらしく思えてしまうのだ。
本物は常に厳しいのだ、そんなことを改めてこの写真展から突きつけられたようだ。
■コニカミノルタプラザ http://konicaminolta.jp/about/plaza/index.html
コニカミノルタ特別企画展 地球の上に生きる2007 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展
DAYS JAPAN は創刊からしばらくの間しばらくの間購読していた。
真のフォトジャーナリズム詩というのは、日本ではこの雑誌を置いて他にはあるまい。
しかし購読を中断し、そのままとなってしまった。
それはなぜか。
「地球が100人の村だったら」という言葉がはやったことがあったが、そのうち何人が幸福であり、安心に暮らすことができているのだろうか。
そして、その不幸であり、暮らすことに不安を抱いている人の何人が報道されているのだろうか。
DAYS JAPAN は、その不幸であり、暮らすことに不安を抱いている人のうち、大手ジャーナリズムが目を向けない、目を向けられないことに遠慮もなく目を向け続ける。
すべてを伝える、これは“偏向のないジャーナリズム”の証なのであろう。
しかし、とにかく内容が重いのである。
しかも救いがほとんどない。
DAYS JAPAN に掲載される写真の一つ一つを見るということは、非常にエネルギーを使う。
そして、自分の写真があほらしく思えてしまうのだ。
本物は常に厳しいのだ、そんなことを改めてこの写真展から突きつけられたようだ。
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