sat's blog

2008/07/26

コニカミノルタプラザを訪れる

病院に行った後、久しぶりにピザのやけ食いをしてからコニカミノルタプラザを訪れた。


コニカミノルタプラザ ギャラリーA
フォト・プレミオ FOTO PREMIO 徳田敬太 ツーリスト・アトラクション
観光地でなく、観光地を訪れた人を撮るということは発想としては悪くないと思う。
しかし、何か物足りない。
つまり、観光客を人として撮っているのではなく、風景として撮っているからなのではないだろうか。
また、あえてモノクロームにするほどの作品だったろうか。
写真は省略の芸術だと思うが、残すに値するものがあってこその省略であると思うのだが。
(B-)

コニカミノルタプラザ ギャラリーB
フォト・プレミオ FOTO PREMIO 譲原琢磨 ようこそニッポン!~モデル写真の部~
作者の言う「もはや私たちの生活は輸入品なしでは生きていけないことを痛感しました」という言葉に、どんな輸入品を集め現在日本の姿を告発しているのだろうか、と思ってみると失望する。
作者の視点はそういう社会的なものにはなってはいない。
“絵になる素材”を集めただけなのだろう。
残念、というのが率直な感想である。
「すべてはここから始まった」というモーリタニア産の酢ダコの写真が一番の作品であることは間違いないだろう。
(B-)

コニカミノルタプラザ ギャラリーC
柴田のりよし写真展 五輪前 北京
また中華人民共和国、しかも北京の写真展である。
今の日本では考えられないようなスナップ写真が今の北京では自由に撮れるようである。
数ある中国の写真展とさてどこが違うのだろうか。
みんなが撮っているのなら同じものを撮ってもそれほど価値はないだろう。
作者の視点が違ってこそ価値が出るのである。
やはり常時いられない異国の地を撮るということは、すぐ撮り直すというわけにもいかなく簡単ではない。
この写真展からも少しは今の中国が抱える矛盾点がちらほら見えてくるのであるが、充分な突込みができていないのは残念である。
(B+)

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