sat's blog

2008/04/19

大丸ミュージアム、エプソンイメージングギャラリー エプサイト、コニカミノルタプラザを訪れる

大丸ミュージアム東京に、「写真」とは何か。20世紀の巨匠たち 美を見つめる眼 社会を見つめる眼 を見に行った。

大丸ミュージアム東京
「写真」とは何か。20世紀の巨匠たち 美を見つめる眼 社会を見つめる眼
様々な名作が生まれてきたが、写真が生まれてからまだたかだか約100年しか経っていないのだ。
マン・レイ、エドワード・ウエストン、ウイン・バロック、アンセル・アダムス、アービング・ぺン、エルンスト・ハース、ロバート・メイプルソープ、ウイリアム・クライン、ロバート・キャパ、アンドレ・ケルテス、ヘルムート・ニュートン、アンディ・ウォーホル、ルイス・ハイン、W.ユージン・スミスといった早々とした面々の作品が展示されていた。
同じ写真でも作者によってこうも大きく変わってくるのかと思う。
しかし、その中に現在のほぼあらゆる写し方があり、大きな影響を得ているということはどういうことなのだろうか。
(A+)


エプソンイメージングギャラリー エプサイト
倉田精二写真展 都市の造景 ACTION 21C UNDER MEX
エプサイトのプリントはインクジェットプリンタから出力される大判のプリントが魅力であり、その迫力に眼を取られてしまう。
B0サイズのプリントは半切から全倍程度のプリントと比べ迫力が大きく違う。
ここで、写真が良いから大きなサイズでプリントするのか、大きなプリントだから写真に力があるように見えるのか、写真を見る眼を試されるギャラリーである。
倉田氏の写真は、これでもかこれでもかと迫ってくる巨大構造物の迫力が伝わってくる。
(A)


コニカミノルタプラザ
〔ギャラリーA〕
FOTO PREMIO
谷井隆太 えきすとら
人物を撮ってはいないが、そこに人物が写っている。
人物主体の作品ではないが、人物なしには成立しない写真展である。
今までのスナップとは異なったスナップなのであろうか。
近年、スナップという手法は非常に難しくなってきた。
撮られたくないという権利を主張される、下手をすれば犯罪者扱いである。
だからこうした写真展が現れるのだろうか。
こういった撮り方なら「撮るな」という人は少ないだろう。
“逃げ”のスナップなのかもしれない。
時代がこうしたものにスナップを押しやってしまったとしたら、なんとも息の詰まる時代になったものだと思う。
(A-)

〔ギャラリーB〕
FOTO PREMIO
綿貫淳弥 豪雪の村~秋山郷~
何か10年か20年前の“なつかしい”写真展を見ているような気がした。
別に被写体がそうだといっているのではない。
撮影方法なのだ。
はっきり言えば手法は古臭い。
しかし、“新しい表現”なぞクソ食らえ、なのである。
荒れたモノクローム、トーンが出ていない、黒が汚くつぶれている、作者が意図してやったものなのだろうか。
こんなプリントが効果的に寒村の姿を写し出したのは偶然だったのだろうか。

〔ギャラリーC〕
第33回木村伊兵衛写真賞受賞作品展 岡田敦 「I am」 志賀理恵子 「CANARY」「Lilly」
「I am」はまだわかるような気がする。
ポートレートである。
中には陰毛も性器も写っているが、現在では“芸術”なのである。
必然なのかはわからないが。

しかし、「CANARY」「Lilly」は作者が何を言おうとしているのかがわからなくなってしまう“新しい写真表現”なのである。
約100年の写真の歴史の中で、現在の作家たちは何を表現し、どこへ行こうとしているのだろうか。

これが「木村伊兵衛賞」を受賞した作品なのだろうか。
別の賞ならともかく、木村伊兵衛はどう思うことだろうか。

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