sat's blog

2009/01/07

中公文庫『脳死』立花隆 著 を読む

引き続いて立花隆氏の著書を読んだ。
前にも書いたとおり私は立花隆氏がはっきり言うと嫌いである。
しかし、40年近くも第一線の“ジャーナリスト”と活躍している人間を無視するわけにもいかず、また、“食わず嫌い”でもいけないと思い、氏の著書の中で比較的好奇心の沸く本を読み出したのである。

この『脳死』はその2冊目の本である。
先の『宇宙からの帰還』もそうだが、とにかく厚い本である。
詠み終えるのに約1週間もかかってしまった。

始めは読むのが遅くなったのかとも思ったのだが、よくよく考えてみると立花隆氏の文章に引き付けられる魅力が感じられるものがないのではないかと思うようになってきた。
好きな著者、例えば本多勝一氏の著書であればこんなにも時間はかからなかったと思う。
とすれば、好き嫌いで読書速度が変わるのであろうか。

本書で立花隆氏が展開する考察には同意できるものが多く、“本”の内容からすれば「好き」なものである。
では、立花隆氏個人が嫌いだからなのだろうか。
いや、そこまで影響があるとは思わない、思いたくない。

私が思うに、章立てにせよ、文章にせよ、「菊池寛賞受賞」者といっても文章能力、論理展開能力が人並み外れて好いのだろうか、という疑問になった。
簡単に言えば読みにくい文章なのではないか。
この疑問の答えはもう少し立花隆氏の著書を読むことによって出していきたいと思う。

しかし、「脳死」というものを厳密に定義づける必要、またそれを公開しておこなえという立花隆氏の主張には説得力がある。
かなり大部分の医師でさえ充分に理解しているのか疑問になる「脳死」をどの時点で「死」と定義するのか、難しい問題である。
22年前に単行本として出版された本書で問題提起された問題が20年近く経って一定の方向付けをされ、「殺人」としての臓器移植でなく、「死者」からの臓器移植となっているのか、追跡をしてみたくなったことは間違いない。

また、いずれわが身に訪れる「死」を今までは人事のようにしか思っていなかったのだが、本書を読むことによって“冷静”に見つめることができたことは収穫であった。

(A)

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