sat's blog

2006/09/06

「創造ネット」写真展 第1回「向かい風」を観る

「創造ネット」写真展 第1回「向かい風」 http://www.sozo-net.jp/ (東京芸術劇場 http://www.geigeki.jp/ 展示室2)を訪れた。

今まで写真展の感想はかなり辛らつに思うまま書いてきた。
「向かい風」展の出品者の大部分が旧知の間柄である。
だからといってこのブログのスタンスを今までと変えるわけにはいかないだろう。
ということなので、友人諸氏、もしこのブログを目にすることがあっても気にしないでほしい、悪口罵詈雑言を基本スタンスにしたブログなのだから。
そして、他人にきつく当たることで自分自身を追い詰めているのだから


「雲わく山」 須郷秀久
富士は日本中で一番撮影されている山ではないだろうか。
姿かたちが単純でなお美しいため多くの人がカメラを向ける。
そのために、独特の作品とすることが非常に難しい素材といえる。
“雲わく”とするにはちときつい、と思う。

「踊り子」 月田康子
この作品のコンセプトは踊り子そのものの内面に迫るものではなく、“姿かたち”を求めたものと思う。
黒くつぶれた空間をもっと効果的に使う可能性はなかったろうか。

「運河のほとり」 月田康子
フォトレタッチソフトで赤部分の彩度を上げ強調したものであるが、単に目に刺激的な赤を強調しても元々の姿かたちが弱くては補強しきれるものではないだろう。

「計測」 鈴木トモ子
魅力的な人物が写ってはいるのだが、迫り方が半端で弱くなってしまい残念。

「ハナショウブ」 古賀健一
花びらの優しさ、柔らかさが出る仕上げになっていたのだろうか。
色で逃げることをせずモノクロームで迫ったのなら、モノクロームから色を想像したかった。

「尾瀬彩景」 小松崎ミツオ
定番となってしまった尾瀬だけに“見慣れた絵”として見られてしまう不利なところがある。
多数の写真家がとり忘れた面を見つけていくのはとても難しいことだと思う。

「リハビリ」 小林正
疑問をあえて言えば、「なぜ8枚なのか」という点である。
手足のアップだけで全体を語る力作である。

「逆上がりができた」 高橋弘
この作品を見た瞬間、一生懸命逆上がりをする少女の姿よりも、影の動きのダイナミックさに視線がいってしまった。
影を追ったほうが生き生きしたものにならないだろうか。

「東京宵街」 鈴木渉
撮り方がとてもうまい人だと思う。
作品を見たとき、視線が迷うことがないのだ。
作者がどこを見ているのかダイレクトに伝わってくる力強い作品である。

「尾瀬の初冠雪」 鈴木トモ子
これもまた“見慣れてしまった尾瀬”である。
デジタルカメラなのだろう、どうしても望遠域に寄りがちになってしまう画角が息苦しさを感じてしまう。

「第2東名工事現場」 佐藤勝美
これもまた“よく見る絵柄”である。
開発によって作られる光景に違和感を出し切れず、弱くなってしまった。
いいポジションを得るのは難しいと思うが、画角にも工夫があってもよかったのではないか。

「バイク仲間」 佐川正則
残念なのだが、バイクの楽しさが伝わってくる作品にはなっていない。
説明する必要はない、作者自身の楽しさを伝えてほしい。

「足尾銅山に消された村」 永島盛次
“消された村”が写っていたのかは疑問である。
足尾の風景は写っていたが、作者の思いまでは写っていたのだろうか。

「講演デビュー」 松田誠也
絵に“主人公”が二つあり、どちらを見るのか迷ってしまう。
作者にしては「あれっ」と思う作品である。

「2006年横須賀ドブ板通り」 菅谷健夫
さて、私はこの手の作品が非常に苦手で困る。
1枚1枚を見ていると“弱い絵”にしか見えないのだが、全体としてみると“雰囲気がある”というやつだ。
どう評価していいのかわからない、お手上げである。

「春を待つ」 山本進
女の子が一人写っている作品が従来の作者のスタイルに近く、一番自然に思う。
人物主体にとってきた作者が、人物をあえて写さないアプローチを模索しているのだろう。

「ひじき刈りの里 - 西伊豆・岩地」 清久敬子
ひじきを刈る海女一人の絵が良く、他の絵とのバランスがとれなかった。
単写真でも良かったのではないだろうか。

「養蚕農家」 あらいがく
手馴れたものである。
絵の作り方が非常にうまい。

「里山の春」 中山敏
これまた“定番の桜”である。
開けていない里山であるゆえに絵がごちゃごちゃしてしまったのは残念に思う。

「虫おくり」 小倉洋一
この作者も絵作りのうまい人である。
ただ、最後の一枚には満足しているのだろうか。

「宇宙人の卵」 横井みつを
人物はゴーグルにマスクをつけ、シャボン玉に入り込むため大きなアクションもない。
非常に条件がきつい写真である。
廻りの大人の表情もいまいち、難しい素材である。

「夜神楽」 横井みつを
大勢の観客の中、自由にポジションを取ることができないという制約。
事前の準備が大切だということか。

「荻ノ島環状集落」 柳澤春廣
農作業の近影2枚に違和感がある。
極端にリズムが違う。

「祭りの顔」 佐藤秀夫
顔のアップは絵として必然的に強くなる。
会話のできる距離で撮り撮られる緊張感と安心感、それがまた絵を強くしている。

(すべて敬称略)

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