sat's blog

2009/11/23

コニカミノルタプラザを訪れる

コニカミノルタプラザを訪れた。

コニカミノルタプラザ

〔ギャラリーA〕
フォト・プレミオ2009 中嶋太一写真展「龍の流れし夜」

「若い才能」とか「新しい表現」と銘打った写真展はどうも何が“新しい”のかがわからなく、見るのに苦痛になってくる。
残念ながらこの写真展も苦痛に近いものであった。
モノレールの走る光跡を「龍」に見立てているのだろうが、果たして成功しているのか。
いま、写真界はデジタル写真というハードウェアに追いまくられて入るが、ソフトウェアである作品には行き詰まり、「新しい写真」なるものを得ようとして四苦八苦しているように思えてならない。

銀塩であろうがデジタルであろうが、手段の違いであって表現手法そのものはそれほど大きく変わったわけではないはずだ。
雰囲気をかもし出す写真もいいのだろう、しかし、私は写真の持つ一瞬を固定する、という表現手法を横道だと思う。
であるから、ドキュメンタリーとか報道写真が好きだ。
もっと言えば、作者が同時代と面と向かって勝負しているか、そんな写真が見たいと思う。
(C)

〔ギャラリーB〕
フォト・プレミオ2009 上野雅之写真展「砂漠の人」

最近は珍しくなった銀塩のモノクロームの写真である。
本来は好きなんだけど、残念ながらあまりにもプリントがよろしくない、残念である。
また、最近の日本では「肖像権」に過剰反応があって、“自由”に撮影ができない。
だから、と言っては酷であるが海外に撮影に行くのではないだろうか。

この作品の視点、取り組みは「観光写真」のそれと大きく変わりはないような気がする。
もっとじっくり取り組む必要があるんだろう。
(C)

〔ギャラリーC〕
中藤毅彦写真展「САХАЛИн-サハリン-」

この写真展もたぶん銀塩のモノクロームだと思う。
作者がわざとやっているのかもしれないが、プリントが黒っぽく汚い感じがしていけない。

先入観が写真を作った、と言ったような写真展であったのではなかろうか。
写真とはそういった芸術ではなかろう、選択の芸術なのだ。
そこに「思い込み」があってはいけないのだ。
(B)

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]



<< ホーム