sat's blog

2006/03/01

わからぬお経

同期の友の通夜に参列した。

僧侶が二人、読経を続けていた。
厳粛な式のさなか、つまらぬことが頭に浮かんだ。
この読経は誰に対し読まれているのだろうか。

仏教の経典は宗派によって何を読むか決まっているのであろうが、読経を聞いている限り語彙として耳に入ってくるのはまれである。
どちらかというと音曲として感じることの方が多いのではないだろうか。

つまり、大切な経文を読んでいるのであろうが、何を言っているのかが全然わからないのだ。

ものによっては日本語でなくサンスクリット語で読まれているのもあろう、日本語としても通常の話し言葉でないために聞き取りができない。
馬の耳に念仏ということわざがあるが、聞いてわからなければまさに馬の耳に念仏なのではないだろうか。
現代話し言葉で語る読経もあっていいのではないだろうか、不勉強モノがふと感じた。

今晩の通夜では導師が最後に説法をしてくれたのが救いであった。

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