sat's blog

2007/10/28

コニカミノルタプラザ、新宿ニコンサロンを訪れる

病院に診断と薬をもらいにいったあと、シェーキーズ新宿通り店で久しぶりに莫迦食いをした。
2,3ヶ月に1度くらいどうしてもいきたくなるのだけど、結局食べた後、「もっとおいしいものを単品で良いから食べたほうが良いな」と思うことになる。
卵のピザ、きのこのピザ、サラミのピザ、バジリコスパゲッティが中心で、他のメニューはどうも手が出て行かない。
前は平日も休日も同じ料金だったのだが、平日料金787円に対し、サラダバーがついたとしても土日祝1,134円は高すぎるだろう。


満腹の腹を抱えて、コニカミノルタプラザを訪れた。

■コニカミノルタプラザ http://konicaminolta.jp/about/plaza/index.html

今回のコニカミノルタプラザは、偶然にも3つのギャラリーすべてがモノクロームである。

〔ギャラリーA〕
FOTO PREMIO
平松 伸吾 「華やかな街の中へ」

アジア各国に点在する中華街で撮影された写真が並ぶが、作者はそこに暮らす人たちを確かに写しているのだが、写された人が活き活きしていないのはなぜなのだろうか。
「華やかな街の中へ」というタイトルと、写真の内容は必ずしも合っていないというしかない。
モノクローム写真も、メリハリがなく黒くつぶれたような“今風”のプリントばかりである。
ああいうプリントが今はいいというのだろうか、気になって仕方がない。
(B+)


〔ギャラリーB〕
FOTO PREMIO
竹下 太郎 「望郷」

私もこの作者が言う、「故郷を感じることがない東京生まれ東京育ち」なのであるが、作者の言う“望郷の念”はこの写真展から感じることはできなかった。
写っているのは異国の田舎、そこにこの作者は本当に望郷を感じたのであろうか。
それにしても、この写真展もモノクロームの処理が“きたない”。
今の若い写真家にとって、モノクロームとはこのように暗く汚いものなのだろうか。
(B)


〔ギャラリーC〕
長野重一写真展 「遠い視線・幻冬」

やはり重鎮の写真展である、安心して観ることができる。
1枚1枚の写真がパズルのピースのように組み合わさり、“遠のいていく”東京の姿を形作っていく。
見事としかいいようがない。
モノクロームの処理も前2つの写真展とは焼きが全然違う、なんていってもきれいである。
やはりモノクローム写真は美しくなくてはいけない。
(A+)


■新宿ニコンサロン http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/

〔新宿ニコンサロン〕
HITOSHI>NAKAJIMA+PHOTOGRAPHY 「時代の戯れ」 http://www.hitoshinakajima.com/

写真のフォーマットはこの作者曰く、「スーパーパノラマ」である。
通常のフォーマットより横に2倍から3倍ほどの長細い写真、このフォーマットにした意味はどれだけあるのだろうか。
デジタル印刷だと思われるプリントも和紙や色のついたものにそれほど精鋭度の高くないプリントである。
“スーパーパノラマ”にして上下の不要な余白を取り中間部分を凝縮させた効果はある程度は認めるが、それ以上にこのフォーマットの奇抜さに目がいってしまう。
デジタルフォトが出てきて以来、簡単にこういったフォーマットの写真が作れるようになったのだが、それは写真表現の幅を広げているのだろうか。
私は批判的に観ているが、頭が固いだけなのだろうか。
(B)


〔ニコンサロンbis〕
第26回 日本スキー写真家協会写真展 「白の残像2007」

作者により自然の中に溶け込むスキーヤーとしたり、スキーヤー自体のダイナミックな動きを捉えてみたり、またはスキーヤーの内面に迫ったりと撮り方は様々である。
大自然の中のスキーであれ、競技スキーであれ、われわれの日常から離れた光景に目は引かれざるを得ない。
方手間でスキー写真に取り組んでいるのではなく、わざわざ協会を立ち上げてまでスキー写真にのめりこんでいるのもわかるような気がする。
(B+)


2つの写真展を見て、山手線に乗ってあれこれ考えていたら乗り換える駅を大きく乗り越してしまった。
いままでは日曜日にテニスをして、その帰り道に父の入院している病院に顔を出すという流れだったのだが、身体にリズムがまだうまれていないのだ。
当分、忘れ物や乗り越しに悩まされることになるのだろう。

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