sat's blog

2006/02/13

怪し系写真家

先日友人に尊敬の意をこめて“怪し系写真家”の称号を進呈した。
けっして莫迦にしているのではない。
彼がロモ・フィッシュアイで中華街から非日常的写真を切り取ってきた、それをたたえ称したのである。

http://spica7.lomo.jp/rbook/retopapa.cgi

写真を撮るということは自己表現の手段である。
人と同じような表現、先生の撮ったのと同じような写真、どこかで見たような作品、これらのどこに自己表現があるというのか。
“怪し系写真”の切り取り方、それが昇華していけば立派な作品となるだろう。

かく言う私もおかしなものを撮ることを第一に考えている。
人と同じ舞台に上がって闘ってもなかなか勝つことはできない。
風景はあきれるほど何回も何回も通い続けねば撮ることは難しい、私にゃそんな根気はない。
おネエちゃんの裸は…、私にゃ冷静に徹して観察する自信はない。
だから人が撮ってないものを探す、または見方を変える。
きれいなものをきれいに汚いものは汚く、では当たり前なのだ。

汚いものをきれいに、そんな“天邪鬼系写真家”が私の一側面なのである。

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