sat's blog

2009/02/02

新潮文庫『「死の医学」への日記』柳田邦男 著 を読む

この著書は1996年に新潮社より単行本として発刊され、1999年に文庫本となったものである。

主に末期ガン患者をレポートし、その死を見つめる。
末期ガンでなくても死に向かってまっしぐら、という患者は多く存在すると思うのだが、やはりガンに対して日本人が持つ感情を考えると死を避けられない病気=末期ガンとなるのであろう。

死は父が亡くなってから人事ではなくなったように思う。
人生の折り返し点を回って、いつまでも先送りには出来ないものだと感じる。
もちろん、私はたぶん末期ガンに侵されていないし、事故でもない限り今日明日中にこの世に別れを告げることはないと思う。
しかし、10年後はどうなんだろう、20年後は、そして30年後、40年後は。
子どものころの10年はとてつもなく永かった。
しかし、その10年を経験してきたことによって加速度的に、相対的に歳を取るのは早く感じられる。
歳を取るという感覚は足し算ではなく、掛け算なのである。
となると、もう自分の死を、自分はどう死ぬかを考えてもおかしくない歳なのかもしれない。

著者は末期ガンというごく短い時間を突きつけられた患者たち、見つめる医師や看護師たちを特別なものとして書いたのだろうか。
末期ガンにならなければ不死であればそうなのだろう、しかし、人間は生まれたときから1秒1秒死へ向かって歩んでいくのである。
いつかは迎えるその死を、そのときが来てから慌てふためくのではなく、逃れようと無駄な努力をするのでなく、冷静に迎えて大切な時間をすごすべきなのである。

いや、健康でいる今この時間もそうではないだろうか。
ただ漫然と生きていき、「あなたの命はあとこれだけです」と宣告されていき方を変える、そんなバカなことがあるだろうか。
いつでもしっかり生きていこう、この著書は末期ガンを例にそういっているのだと思う。

(A)

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