sat's blog

2006/01/31

信号トラブル

出勤の途上、車内で「信号トラブル」のアナウンスを聞いた、振替乗車を実施中という。
列車遅延の場合遅刻とはならないが、今日は遅れたくない、約束があった。
判断は難しい、完全に止まっているのか遅れているだけなのか、そこまでのアナウンスはない。

アナウンスの入った駅で振り替えすれば5分くらいの遅れですむ、乗り換えることにした。
久しぶりに乗る区間、空いていていい。
「信号トラブル」が深刻で止まっていないか、自分の判断に間違いないことを願う気持ちがおかしな考えをうむ。

トンネルを出るとそこにはいつも乗る電車が併走していた、なんだ動いている。
判断を誤った、余計なアナウンスを…、たった5分がこんな気持ちを生んだ。

たった5分の心の余裕もないのか、情けない朝であった。

2006/01/30

おもちゃがひとつ仲間入り


おもちゃがひとつ仲間入りした。
写真のASAHI PENTAX S2 のレリーズボタンにのっているセルフタイマーのことだ。

「ROKUWA」という名のセルフタイマー、たぶん40年近く前のものだろうと思う。
googleで検索してもどういうメーカーだかわからなかったが、錆も出ずきれいな動作をしてくれる。

円盤を廻しバネをチャージしてストッパーをはずすと大きな「ジー」という音がして円盤が回転を始める。
やがてレリーズする瞬間に備えろと言っているように腕を大きく広げ、レリーズボタンにピンを押し込み、パッと腕を閉じる。
なかなか面白い凝った動きをする。

写真機がカメラとなり電子化されて以降、どこのメーカーも10秒前からのんびり、2秒前から忙しなくLEDが点滅するセルフタイマー機能が組み込まれている。
写真機のセルフタイマー機構がどこか調子を落としぎこちない動きをするときがあるのと比べれば、実用的ではあるのだがなんとも面白さがない。

この「ROKUWA SELF-TIMER」は、セルフタイマー機構は高級機にはあるものの普及機には省略されていた時代のものだ。
このセルフタイマーが私の手元にやってきたとき本革のケースに入っていた、高級品だったのだろうか。

40年前といえば総天然色フヰルムが普及しだしたころか、モノクロ写真といえど今と比べて高級品だった。
カラーの同時プリントは1枚70円位しており、今では1時間かからずにできる現像も数日かかった。
このセルフタイマーは40年前、家族の写真を持ち主に代わり撮っていたのだろう。

「三丁目の夕日」の時代のことである。

2006/01/29

酒を飲まない、という誤解について

私は現在酒を飲まない、ただし禁酒したわけではない。
休酒中なのだ、最大20年の。
一部に誤解があるようなので宣言することにする(どうせ聞こえないか…)。

酒を休止したのは3つの理由がある。
一つ目はとてもみっともない失敗をやらかしてしまったということ。
何をやったかはとても言えない、知っている人が小数なのが救いだ。
二つ目は飲んで記憶をなくすことが多くなったということ、後で聞くとなにか議論しているのだという。
記憶をなくしているときに議論を吹っかけて好きなことを言っている、私の内の好戦的な別人格が闘っているのだ、それはとても怖い。
別人格の責任など到底取れるものではない、彼には出てくる機会を与えないようにしなければならない。
三つ目は飲まないと寝れなくなってしまったのだ、しかもだんだん強い酒を多く。
特に寒い日の朝、夜業明けに飲むバーボンのうまさ、瓶が半分になったら一気に目が覚めてしまった。


休酒してからも宴会には顔を出す。
「よく我慢できるね」と人は言うが、なんとかなるもんだ。
でも、この間3回ばかり酒を飲んだ。
1回目は友人のお店のメニュー写真を撮っている時、ビールの泡の具合を直した楊枝をついつまんで1滴ほど。
2回目は大切な知人に飲んでもらうために用意した「亀の翁」を友人と一緒に1杯だけ。
3回目も「亀の翁」、恩師のお祝いの席で。

酒が嫌いになったわけではないので、本当のところは飲みたいと思う。
でも、歯止めをしておかないと別人格の彼が登場しそうで怖い、今はストップをかける人が横にいないから。
旅した先々の地酒を味わえないのは寂しい。
飲み残したビール、バーボン、スコッチ、スピリット、ワイン、焼酎、いっぱいあるではないか。

年末年始にかけて忘年会だ、新年会だ、旗開きだ、懇親会だ、反省会だと良くぞこれだけ機会があるものだと思う。
毎日のように飲み歩く者がいる、だが羨ましいとは思わない。
飲んでいるころも自分のペースで飲めるひとり飲みが一番好きだった。
一気飲みはもちろん、仕事の付き合いでなんか飲みたくない。

酒は人類の作った文化だ、つまらない飲み方は酒の作り手に失礼だ。

2006/01/28

写真展『VIET NAM』

写真展『発掘された不滅の記録 1954-1975 VIET NAM』(東京都写真美術館)http://www.syabi.com/を見に行った。

ベトナム戦争ほど多くの写真家により記録された戦争は他にないのではないだろうか。
そして、あれほど多くの写真家が命を落とした戦争も他にはないだろう。
なぜ写真家は命をかけて戦場に行くのだろうか。
多くの写真家が最前線を訪れ身の危険を感じながら写真を撮った。
ロバート・キャパや沢田教一など南北あわせて数百名の写真家が命を絶った。
何のために?

戦争の当事者たち、アメリカ軍も北ベトナム軍、解放戦線も武器としての写真を活用した、プロパガンダである。
写真家石川文洋氏が語っていたが、ベトナム戦争当時の従軍写真家のアメリカ軍での対応は佐官クラスとしての対応であったという。
国民の戦意高揚としての力として写真を見ていたのではないだろうか。

しかし、写真の力は「戦場で何が行われているのか」をも暴いてしまった。
今回の写真展になかったが「処刑される解放戦線ゲリラ」の写真は戦場で何が行われているかをさらけ出してしまった。
沢田教一の有名な写真「自由への逃亡」やヒュン・コン・ウットの写真「ナパーム弾の誤爆から裸で逃げる少女」は戦争の犠牲者がどんな人たちであるかを明白にした。

いま、ベトナム戦争が終結してから30年経った、50年前から30年前の作品を見るとき、国家のプロパガンダや写真家の意思がどうあれ、カメラは真実をありのままにしか写せないという特色がことの本質を雄弁に語っているように思えてならない。


イラクやアフガニスタン、チェチェン、パレスチナで行われている戦争はどうだろう。
軍隊は写真の力を恐れ写真家を最前線に送ろうとはしない。
演出された写真が作られ、検閲され送り出されてくる。

しかし、中には軍隊を怒らせる「輸送機に詰まれた戦死者の棺の群れ」「捕虜に対する虐待行為」が流れ出す。
機会は少なくなったが、写真家たちの努力が何が起こっているか、をさらけ出していく。


写真の力の根源は「カメラの前にあるものを忠実に写し撮ることしかできない」ということにあるのだ。

2006/01/22

blog を立ち上げました。

blog を一念発起して立ち上げることにしました。
が、何をやっていくのか今のところわかりません。
どこへ行くか、どんなになっていくか、はたまた消滅するか。

当面試行錯誤でいきますので、ヨロシク!