sat's blog

2009/11/30

小学館 BIG COMICS BC2763 『鉄腕バーディEVOLUTION 3』ゆうきまさみ 著 を読む

本著は2009年に「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載された作品をまとめ、2009年に単行本として発刊されたものである。

『沈まぬ太陽(三) -御巣鷹山篇-』を読む間に“ザッと”読んでしまったのには自分でも驚いた。

この連載も『鉄腕バーディ』から通算して23巻となった。
嫌いな作品ではないが、少々マンネリ気味かな、と思うところがある。
なかなか物語の核心に迫らないせいではなかろうか。
途中、掲載誌が変更になったということもあるのだろうが、もっと作者にはがんばってほしいものだと思う。
(B+)

新潮社 新潮文庫 や-5-28 『沈まぬ太陽(三) -御巣鷹山篇-』 山崎豊子 著 を読む

本著は「週刊新潮」で連載され、1999年に単行本で刊行され、2002年に文庫本として刊行された。

ますます止まらなくなってしまった。
本巻はたった1日で読破してしまった。
現実の日本航空123便、御巣鷹山事故をベースにしているこの巻は、読むのを休むことを許してくれなかった。
出社時の電車の中、昼休み、退社時の電車の中、家の風呂場で読み終えてしまった。
まるで御巣鷹山で亡くなった520名の悔しさが乗り移ったような作品になっている。

この作品の主人公、恩地元のモデルとなった故小倉寛太郎氏が「お客様係として対応に当たっていない」と批判する向きもあるようだが、まったくナンセンスな批判である。
「恩地元=故小倉寛太郎氏」なのではなく、恩地元=故小倉寛太郎氏+αなのである、当時の御巣鷹山には多数の恩地元がいたのである。
それを考えず、いたずらに「恩地元=故小倉寛太郎氏」と矮小化してしまうのは如何なものであろうか。
日本航空や第二労働組合、または彼らの支援者がいまだに反省もせず論理展開しているように思えてならない。

故小倉寛太郎氏にはご存命中にお会いする機会はなかったが、小説の主人公、恩地元は小説であるが故にヒーローとして記述されているのかもしれない。
しかし、それを理由としてこの作品が「許せない作品」だとか「嘘っぱち」であるとする論調には決して同調はできない。
そういう論調を展開するものたちに、逆に胡散臭さを感じ得ないのである。
(A++)

2009/11/29

新潮社 新潮文庫 や-5-27 『沈まぬ太陽(二) -アフリカ篇・下-』 山崎豊子 著 を読む

本著は「週刊新潮」で連載され、1999年に単行本で刊行され、2001年に文庫本として刊行された。

本巻も500ページ近い長編であったが、約3日で読破した。
いや、止まらないのだ。
主人公の恩地元や第一労働組合のおかれた立場を我が身に置き換えてしまう。
もちろん、私自身、海外盥回しなどというひどい攻撃を受けたわけではないが、不公平な評価や扱いを受けているのは誰もが認めるところだろうと信じている。

先のブログで、国民航空=日本航空と明かしたが、この先、「御巣鷹山篇」「会長室篇」と続いていく巨大企業の犯した犯罪への告発は、現在の日本航空が陥っている危機の根本原因に他ならない。

会社を食い物にする者たちは、闘う労働組合を排除すれば片がつくと思ったのだろうが、「正義」の側には多くの支援者がつくのだ。
この作品を著した山崎豊子氏や、この作品を映画化したスタッフの方々、何よりも2009年現在で文庫本だけで40刷となっているほど読まれている読者、映画を観た観客たち。

信念を持とうとするものに勇気を与えてくれる作品である。
(A++)

2009/11/27

新潮社 新潮文庫 や-5-26 『沈まぬ太陽(一) -アフリカ篇・上-』 山崎豊子 著 を読む

本著は「週刊新潮」で連載され、1999年に単行本で刊行され、2001年に文庫本として刊行された。

実はこの作品を読むのは二度目である、10年前に単行本が発売されたときに人から借りて一気に読んだ記憶がある。
今回改めて読もうと思ったのは、映画『沈まぬ太陽』を観たからである。

映画の感想は先に書いたが、実にタイムリーに映画が公開されたものだと思った。
この作品には参考となる人物、航空会社、事件があり、小説という形をとった告発である。
その航空会社=日本航空が経営危機で会社の存亡が危ぶまれている、その会社の体質を告発している作品でもある。

10年前読んだときには、国鉄の「民営・分割」化とダブらせて読んだものだ。
国鉄の「民営・分割」化は中曽根康弘が国鉄の赤字の原因を労働者=国鉄労働組合などに押し付け、国民の目を欺きながら闘う労働組合の解体を謀り、革新勢力をずたずたに“分割”した。
その雛形は日本航空が日本航空労働組合にかけた攻撃である。

会社=資本家と国家権力は民主的な労働組合運動を“アカ”呼ばわりし、組合員の団結を乱し介入してくる。
それが戦後一貫として続けられた結果が、“先進諸国”の中でも異常なほどの労働者団結の低下であり、会社のやりたい放題の現状であり、日本中に広がった不平等なんだろうと思う。

本書は全五巻のうちの第一巻であるが、すでに主人公の過酷な運命に共感と感動を覚える。
そして凶悪な会社の労務政策に、なぜここまで労働組合を嫌悪しなきゃいけないのか、疑問に思う。

この先、主人公にはまだまだ過酷な運命が待っているということはわかっている。
しかし、主人公の信念を通し続ける姿にある意味「安心して」読み続けることができると思う。
そして、10年前に読んだときとは違う、つまり私がその間に養ってきた世の中を見る目を確かめることができるのだと思うのである。
(A++)

2009/11/24

講談社 アフタヌーンKC586 『カブのイサキ 2』芦奈野ひとし 著 を読む

本著は2008年から2009年にかけて「月刊アフタヌーン」で連載されたものをまとめ、2009年に単行本として発刊されたものである。

この作品は先にも書いたが、非常にゆったりとしていて気持ちがいい。
いや、この作品を読んでいるとゆったりした気持ちになれて心地よい、と書くべきか。
最近の連載周期も隔月刊ということだから、この作家の性格が現れているのかもしれない。

早く次の話を読んでみたいが、単行本になるのは約1年先だろう。
ゆったりした作品をゆったりと待つのもいいのかもしれない。
(A)

講談社 アフタヌーンKC534 『カブのイサキ 1』芦奈野ひとし 著 を読む

本著は2007年から2008年にかけて「月刊アフタヌーン」で連載されたものをまとめ、2008年に単行本として発刊されたものである。

またまた悪い癖が出た。
今回は『芦奈野ひとし氏』である、はまってしまったのである。
『ヨコハマ買出し紀行』を待つ間に残りの作品をあさりだした。
古本で集めるという手もあるのだが「新装版」を待つことにしたので、幸いと言うか、既刊は2冊しかないからすぐ揃う。

物語の設定は、「地面が10倍になった世界」なのだというが、『ヨコハマ買出し紀行』の設定、「温暖化で海面が上昇し、穏やかに朽ち果てていく世界」に近いようだ。
本作品も『ヨコハマ買出し紀行』同様、設定は設定としてその中で登場人物の物語は進展するが、設定を主題にはしていない。
登場人物たちのほのぼのとした関係に重点がおかれている。
それがここでは成功しているように思う。

現実のギスギスとしたストレスだらけの世界のアンチテーゼなのかなぁ。
(A)

火事2件

自宅の近所と勤務先の近所で火事があった。
どちらもなくなった方が出て、テレビジョンで大きく報道された。
勤務先の火事の方は駅からもにおいがするが、4人も死人が出ているのに火事のあった一軒を除くと不思議なほど普段どおりで、異様な気分になった。
自宅の近所の火事は家人に聞くところ50人くらいの人が現場検証の真っ最中だったそうだ。

最近は耐火建築や防火建築が多くなってきて大きな火事が少なくなったなと思っていたのだが、死人の出る火事はそれほど少なくないようだ。
原因はこれから明らかにされていくだろうが、本当の意味での原因を見つけてほしいと思う。
単に今回の「犯人探し」では死んだ方に申し訳ないだろう。

2009/11/23

コニカミノルタプラザを訪れる

コニカミノルタプラザを訪れた。

コニカミノルタプラザ

〔ギャラリーA〕
フォト・プレミオ2009 中嶋太一写真展「龍の流れし夜」

「若い才能」とか「新しい表現」と銘打った写真展はどうも何が“新しい”のかがわからなく、見るのに苦痛になってくる。
残念ながらこの写真展も苦痛に近いものであった。
モノレールの走る光跡を「龍」に見立てているのだろうが、果たして成功しているのか。
いま、写真界はデジタル写真というハードウェアに追いまくられて入るが、ソフトウェアである作品には行き詰まり、「新しい写真」なるものを得ようとして四苦八苦しているように思えてならない。

銀塩であろうがデジタルであろうが、手段の違いであって表現手法そのものはそれほど大きく変わったわけではないはずだ。
雰囲気をかもし出す写真もいいのだろう、しかし、私は写真の持つ一瞬を固定する、という表現手法を横道だと思う。
であるから、ドキュメンタリーとか報道写真が好きだ。
もっと言えば、作者が同時代と面と向かって勝負しているか、そんな写真が見たいと思う。
(C)

〔ギャラリーB〕
フォト・プレミオ2009 上野雅之写真展「砂漠の人」

最近は珍しくなった銀塩のモノクロームの写真である。
本来は好きなんだけど、残念ながらあまりにもプリントがよろしくない、残念である。
また、最近の日本では「肖像権」に過剰反応があって、“自由”に撮影ができない。
だから、と言っては酷であるが海外に撮影に行くのではないだろうか。

この作品の視点、取り組みは「観光写真」のそれと大きく変わりはないような気がする。
もっとじっくり取り組む必要があるんだろう。
(C)

〔ギャラリーC〕
中藤毅彦写真展「САХАЛИн-サハリン-」

この写真展もたぶん銀塩のモノクロームだと思う。
作者がわざとやっているのかもしれないが、プリントが黒っぽく汚い感じがしていけない。

先入観が写真を作った、と言ったような写真展であったのではなかろうか。
写真とはそういった芸術ではなかろう、選択の芸術なのだ。
そこに「思い込み」があってはいけないのだ。
(B)

2009/11/21

ボジョレー・ヌーボー

ずいぶんと久しぶりにボージョレー・ヌーボーを飲んだ。

ボージョレー・ヌーボー、簡単に言えばワインの新酒だ、
「ありがたく飲む必要はない、楽しめばいいのだ」と聞いたことがあるが、これだけ旨い酒をこれだけ安く飲めるのはありがたい。
明日は休み、朝酒といこうか。

2009/11/20

講談社 アフタヌーンKC593 『新装版 ヨコハマ買い出し紀行 3』芦奈野ひとし 著 を読む

本著は1996年から1997年にかけて連載されたものを単行本化し、2009年に新装版として単行本化したものである。

先のブログでも描いたのだが、本作品は「マンガの可能性」を拡げたものであると思う。
第38回星雲賞受賞は決してフロッグではない。
ほのぼのとして、SFであり、詩的であるこの作品をどう表現していいのか、私にはわからない。
しかし、一回で読み終わってしまう作品ではなく、何回でも反芻したくなる作品である、何かはある。

読んですがすがしい気持ちにさせられる作品である。
作者も編集者もこういう作品をどんどん成長させていってほしいものだと思う。
(A+)

講談社 モーニングKC1853 『BILLY BAT 2』浦沢直樹 著 ストーリー共同制作 長崎尚志 を読む

本著は2009年に「モーニング」に連載に連載をまとめて単行本としたものである。

この作家の常套手段であるが、第一巻からこの第二巻にかけてどんどん伏線を膨らませている。
戦後の国鉄の三大事件に止まらず、戦国時代にまで拡がってしまった。

この物語も大きな話になりそうである。
楽しみにしておこう。
(A)

2009/11/18

小学館 SS COMICS ゲッサン SSC-2098 『QあんどA 1』あだち充 著 を読む

本著は2009年に「ゲッサン」に連載されたものを単行本として刊行したものである。

この作家得意のパターンである、高校生の男女、スポーツ、死者が絡んできている、“マンネリ”なのである。
しかし、この“マンネリ”の料理がこの作者はとても巧い。

本書は第1巻、序盤の序盤である。
どうこの“マンネリ”の物語が展開していくのか、楽しみなのである。
(A)

小学館 SS COMICS SSC-1884 『クロスゲーム 16』あだち充 著 を読む

本著は2009年に「週刊少年サンデー」に連載されたものを単行本として刊行したものである。

この作家の作品は、ここ十数年いい意味での“マンネリ”であり、期待通りの展開をするため安心して読める。
野球マンガが多い作家であるが、物語の中心は野球ではなく、少年少女の物語である。

とはいえ、野球マンガである以上、甲子園に向けていま連載は盛り上がっている。
たぶん、地区予選が主であり、甲子園そのものはカットされるかかなり省略されるのではないかと思う。

だらだらと物語を延ばす必要はないのである。
であるから、この連載は終盤にかかっているのではないのかと思っているのだが。
(A)

2009/11/17

文芸社『俺たちの翼 巨大企業と闘った労働者の勇気と団結』土井清 著 を読む

本著は2003年に発刊された。

本著の作者は日本航空に勤務し、日航労組で“当たり前のように労働者の権利向上のために”闘ってきた方である。
それを日本航空は嫌悪し、賃金差別、昇進昇格差別、不当配転とあらゆる攻撃を受けながらもくじけずに闘ってきたのである。
『沈まぬ太陽』の一人と言ってもよかろう。

日本の民主主義は“与えられたもの”だけに、欧米と比べて弱者が弱い立場に追い込まれている。
会社という組織と、労働者個人個人は、その持っている力は雲泥の差がある。
だから、「万国の労働者、団結せよ」なのである。

しかし会社側も「馬鹿」ではないから、卑劣な手段を使って労働者を分断してくる。

「普通の人間」が不公平に気がつき、みんなのために闘っていく姿には頭が下がる。
「おとなしく会社の言うことを聞いていれば」、どんなに楽だったか知れない。
しかし、人間としてそれができなかったのだ。

こうした人がまだ日本にはたくさんいる、残念ながら多数派を形成してはいないが。
でも、こうした人の存在はこんな日本という国もまだ捨てたものではないのだな、と思うのである。
(A)

2009/11/15

『沈まぬ太陽』を観る(続)

小説『沈まぬ太陽』は私たちには大きな勇気を与えてくれた。
自分の良心を貫くものへの会社の仕打ちのひどさを告発してもらったようなものだからである。
だから某航空会社が全社を上げて反論を試みているのを見るとき、「見苦しさ」しか感じえず、だから今の危機を招いたのであろうと思う。

小説や映画の主人公のモデルとなった人物との小さな現実の違いをこれでもかこれでもかとあげつらうことは悪あがきにしか感じられない。
もう少し現実から学習したらどうなのかと思う。

この航空会社も組合が乱立し、いがみ合っている。
しかし、それは誰が作ったのであろうか。
いろいろ問題を含みながらもひとつにまとまりがんばってきた組合を、ばらばらにして憎み合わせてきたのは労務政策でなのだ。

すべて会社の責任だと言っても過言ではないだろうと思う。
(A++)

2009/11/14

ニコンサロン、コニカミノルタプラザを訪れる

久しぶりに新宿ニコンサロンとコニカミノルタプラザを訪れた。


ニコンサロン

〔ニコンサロンbis新宿〕
「醒都幻影」桜木義隆写真展

さて、どう観想を書こうかと考え込んでしまう。
都市の中の一部分をクローズアップ的に切り取り出しているのだが、“子供の落書き”とどれくらいの差があるというのだろうか。
何が良いのかわからない写真展にはとことん困り果ててしまう。
(C)

〔新宿ニコンサロン〕
「サイレント・フィクション」佐藤謙吾写真展

面白くもなんともない都市の写真をデジタル加工して水面を貼り付けただけである。
つまらないものをいじくりまわしても、やっぱりつまらないと思うのだが。
(C)


コニカミノルタプラザ

〔ギャラリーA〕
日本写真会 第30回「同人・同友展」

玉石混合と言うが、やはり玉はほとんどないものらしい。
この写真展のように“先生”のついた写真展はそれなりの程度には収まるが、突出したものはなかなかない。
今回の写真展も残念ながらきらりと光る作品はなかった。
(B-)

〔ギャラリーB・C〕
「100年愛される絵本展 原画展」

写真展ではないのである。
このギャラリーは写真展のためのギャラリーではなかったのか。
しかも、いい作品が多数展示されている、悔しいのである。
(A)

『沈まぬ太陽』を観る

本作品は山崎豊子氏原作の同名小説を映画化したものである。

本作品のパンフレットを購入して驚いた、3ページ目と裏表紙に「映画『沈まぬ太陽』は、山崎豊子の作品をもとに映画化したフィクションです。登場人物、団体はすべて架空のものであり、実在の人物、団体等とは関係ありません。」と2箇所にも書かれている。
しかし、主人公にはモデルとされる人物がおり、ある航空会社の過剰な反応を見るとき「国民航空」がどの航空会社を指しているのかは子供でもわかることである。
この作品と小説はその航空会社にはよっぽど面白いものではないらしく雑誌や社内報に“反論”を試みているが、その行為自体が自分の首を絞めているように思う。

たしかにこの作品や小説のとおりにすべてが動いたわけではない。
しかし人物や設定が少々入れ替わっていても、この航空会社がやってきた労務政策の誤りは消し去るわけにはいかないであろう。
現在のこの航空会社の経営危機はこうした人間無視の姿勢の積み重ねの結果ではないだろうか。

真実に近い、真実を素材に構築されたフィクション作品のもつ力は、その航空会社で不当に差別されている人たちに勇気を与えるだろう。
いや、その航空会社だけではない、あらゆるところで不利益を与えられている人々に勇気を与える作品になったと思う。
(A++)

2009/11/13

講談社 アフタヌーンKC589 『新装版 ヨコハマ買い出し紀行 2』芦奈野ひとし 著 を読む

本著は1995年から1996年に「月刊アフタヌーン」誌上で連載されたものを単行本としてまとめ、2009年に新装版として発刊された。

第1巻に引き続き買ってしまった。
近未来世界なのであろう、本作品の設定は。
海面上昇で神奈川の地域が海にのまれている、そんななかのちょっとした近未来ノスタルジックコミックである。

いや、不思議な作品である。
まるで転寝をしているときに見た夢を反芻しているかのようだ。

善人、善ロボットしか出てこない、荒れ果てた近未来ではない夢のような近未来である。
なんだか夢を見ているかのような作品である。
(A+)

講談社 アフタヌーンKC588 『新装版 ヨコハマ買い出し紀行 1』芦奈野ひとし 著 を読む

本著は1994年から「月刊アフタヌーン」誌上で連載されたものを単行本としてまとめ、2009年に新装版として発刊された。

本著はまるで知らない中で買ったという、珍しい作品である。
しいて言えば“絵柄”であろうか。
読み出して、たったの7ページで驚いてしまった。
「この絵柄でSF?」「よく編集部がこんな設定を許したな」と。
しかし、すごく牧歌的な詩的な作品なのである。
こんな作品は今までに出会ったことはなかった。
「主人公がロボットだという設定、あえて描かなくてもいいんじゃないか、人間でも通じてしまうぞ」と、思ってしまう。

マンガという表現手法の可能性を拡げるものではないのだろうか。
(A+)

岩波書店 岩波新書 新赤版6『宇宙論への招待 -プリンキアトとビッグバン-』佐藤文隆 著 を読む

本著は1988年に書き下ろされた。

本著は「プリンキピア」、ニュートンの著した著作の300年を記念して書かれたものである。
であるからして科学史が中心になり、宇宙論そのものを読もうとすると「ちょっと違うな」と思う。

この著者はホーキング博士の著作を数多く翻訳しているが、訳書はともかく著書はとたんに難解になる。

本著も大学の学部クラスの理解力が要求される。
「岩波新書」としての格付けが少し違うのではないかと思う。

まあ、20年も前の古い書籍である。
その間にこの著者の文章能力も上がっているのであろう。
それとも、私自身の文章読解能力が落ちているのだろうか。
(A-)

2009/11/02

青春出版社 青春文庫 と-11『新たなる謎を解く手掛かり-エヴァンゲリオン完全解体全書 再起動計画』特務機関調査プロジェクトチーム 著 を読む

本著は1997年に刊行されたものを再構成し、加筆・修正され2007年に発刊された。

『新世紀エヴァンゲリオン』は1995~6年にテレビジョンで放送されたものであるが、“謎”の多いストーリーが多数の関連書籍を発刊させた。
テレビジョンの放送は再放送で見たのだが、多くの謎がそのままのように放置されているようにしか思えなかった。

しかしだが、漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』は何故かはまってしまった、謎である。
おかげで“派生”の“正規版”、“海賊版”を含め多くの書籍を買いあさってしまったのである。
何故ここまで『新世紀エヴァンゲリオン』にはまるということは、この『新世紀エヴァンゲリオン』は何なのだろうかという疑問に行き着くのである。

いわゆる“SFアニメ”は『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』あたりが最後で、『ガンダム』以降の作品とは無縁で来た。
たぶん、『新世紀エヴァンゲリオン』もそうなる作品の一つだったはずなのである。

きっかけはWeb動画であった。

何回か見るうちに、「何か主張があるのか」と思い込んできたのである。
まだ今のところ確信はない。
しかし、多くの人々がこの作品の周囲に群がり、15年にもわたるブームを作り出すのは只者ではあるまい。

もう少し付き合ってみようかと思う。
(B)