sat's blog

2006/02/27

昨日、同期の友が逝った

昨日、同期の友が逝ってしまった。

やらなきゃいけないことをやり遂げ、最愛の人に残すべきものを残して。
強いヤツだった。

2006/02/26

趣味の献血運動2

時間ができたので献血に行った。

献血も何回かやっていると残念ながらできない日もある。

ある年の2月中旬に血漿中の脂肪分が高すぎて成分献血ができないことがあった。
バレンタインデーにもらったチョコレートが原因であった。
牛乳やラーメンでも同様なことがおきるのだという。

今回も残念ながら採血ができなかった。
検査では特に何の問題もなかった。
今回はなんと献血回数がひっかかってしまったのだ。

ドナーの安全を守るため年間献血量などが決められている。
http://www.jrc.or.jp/sanka/blood/terms/index2.html
年間献血量は「成分献血」「全血献血」でも問題ないはずだったのである。
しかし、「成分献血」のうち「血小板成分献血」にはひっかかってしまったのだ。
「血漿成分献血」も選択肢としてあるのだが、日本赤十字社としては必要ないものだったらしい。

まぁしかたがない、こんなこともあるのだ。
読みかけのマンガ本を置き、献血会場を出た。

2006/02/25

コニカミノルタプラザギャラリーを訪れる

新宿の「コニカミノルタプラザギャラリー」を訪れた。

同社は「カメラ事業、フォト事業の終了」を発表しているだけに同プラザの今後が気になるところ。
新宿駅前の超一等地だけに維持費も嵩むだろうが、同社のコンシューマ事業への復帰を願うこともありぜひ続けていただきたいと思う。

さて、今日は同プラザの新人発掘プログラムである「フォト・プレミオ」入賞者展が二つと水中写真家競作展『命はぐくむ海』が開催されていた。

さて、私の写真展の見方ははっきりいってひどいものだ。
順路に沿ってゆっくり歩きながらただただ流していくだけ。
そのときはキャプションは読まない、写真展を見に行っているのだから写真がすべてを語っていないといけないのだ。
そうやっていて、気になった作品があったら初めて立ち止まりキャプションを読む。
最後まで見てその気になったら全体を見回して目立つ作品を探す。
キャプションを読みたくなるような写真展だと思ったら最初から見直す。
芳名帖はよほど気に入ったときでもない限り書かないことにした。
気に入りもしなかった写真展の作者から丁寧な礼状をもらった事があるからだ、それは申し訳ない。
見せていただいた事に対する感謝の気持ちは目礼ですることにした。

さて、今日は1枚の写真の前で立ち止まることができた。
『パプアニューギニアの子供達』(多津丸 氏)である。

水中写真家競作展『命はぐくむ海』の中の1枚なのだが、同展に参加した他の写真家と視点が違っていた。
水中写真家の作品展だから被写体が水中生物になるのはわからなくもない。
だが、残念ながら生物の生態写真の域を脱しているものはほとんどなかった(生態写真が悪いと言っているのではない)。
多津丸氏の作品は水中から海面上の子供たちを狙い、その笑顔が実に印象的であったのだ。

私のような写真展の見方をしている人はほとんどいないだろう。
自分でも変な見方だと思ってはいるのだが…。

2006/02/24

金メダル

トリノオリンピックのフィギュア女子で荒川静香選手が金メダルを取ったのだという。
号外は発行されるはニュースではトップ記事である。
このままでは一つもメダルを取れないのではないかという悲観的な空気から一気に開放されて、少々はしゃぎすぎではないだろうか。
もちろんメダルを取った荒川選手はすごいと思うが、4位の村主選手、15位に終わった安藤選手の扱いの小ささはなんだろう。

扱いの小ささでは2位のコーエン選手、3位のスルツカヤ選手など扱いのないのと大差ない。
他の選手にいたってはまったく扱われていない。

どうもオリンピックのときの報道はメダルに対してのみの執着が気になってしかたがない。
オリンピックにはいろいろな競技があるしふだんまるで報道されていないから、メダルの有無でしか優劣を伝えられないのじゃないか、そう思ってしまう。

オリンピックが開催されるたびに日本のスポーツどの低さを痛感させられる。

2006/02/23

幸か不幸か

いま、ヤフオクのウォッチリストを確認していて入札し損ねたことに気がついた。
クルマを買い換えてから“超緊縮財政”に突入してからというもの、不思議とヤフオクに欲しいものがでてくる。
3日悩んだ末、入札しようか、と確認したところ15分前に終わっていたのだった、しかも最落値で。

無意識のうちに出費を抑えようと安全弁が働いたようである。
しかし、逃した魚は…。
まぁいい、めったに出ないものでもない、気長に待つとしよう。

2006/02/22

“キヤノン派”になったわけ

私は一眼レフカメラにおいてはキヤノン派である。

キヤノン派に草鞋を脱ぐことになったのは、Canon F-1との出会いがあったからだ。
当時、写真部に属していたが自分のカメラというものがなく、父のCanonet28OLYMPUS ECを使っていただけなので、ぜひ自分の一眼レフが欲しいと思っていた。
無謀にも最高級機が欲しくなり、2年間アルバイトを続けていた。
同時に旭光学のペンタックスSP、オリンパスのM-1、キヤノンのF-1、ニコンのF2、ミノルタのSRT-101、トプコンのRE SUPERを比較検討していたように思う。
やがてトプコンが落ち、ミノルタが外れ、ペンタックスがもれた。
オリンパス、キヤノン、ニコンの“システムカメラ”に圧倒されたのである。
最終的にはキヤノンF-1に落ち着いた、デザインにほれ込んでしまったのだ。
直線で構成され黒光りのする高級機、デザイン的にも1・2を争える銘機だと思っている。

その後、A-1が2台、AE-1newFTbと集まってきてしまった。
イレギュラーなシリーズをカウントすると、EX AUTOまで仲間入りしている。
そう、EX AUTOを除けばFD系のボディなのである。

私がもっと早くに写真に加わっていれば、キヤノンにはFTPELIX、さらにR2000なんてものになってしまう、たぶん買わなかったろう。

ニコンのあたりを使っていたのではないか、あれも好きなカメラだしね。

“キヤノン派”になったのは偶然の産物である。
ほんのちょっとのタイミングとデザインが私の琴線にふれたかどうか、実際はそんなものである。

2006/02/21

怖い略語

略語の話題を続ける。

略語には怖さを感じることがある。
あまりに略されてしまうと元々の言葉がどんなものであるかわからないまま使ってしまうことがあるのだ。

有名なところだと“バカチョン”、ついつい使われている言葉だがとんでもない差別用語である。
「バカ」が頭の弱い人をけなしている、とみた人がいたがとんだ勘違いである。
言葉の真の意味は「バカでも朝鮮人でも」である。
戦前の日本で占領下の朝鮮の人たちを見下して作られた言葉だったのである。
人権を大事にする作品モチーフの写真家がいたが、彼の口から「バカ○○○カメラ」の言葉を聞いたとき彼の底の浅さが見えてしまった。

残念ながら私の語彙もたいしたことはない。
洪水のごとく氾濫してくる略語のすべてをチェックできるわけがない。
ついつい知らぬ間に人を貶めるような言葉を使ってしまったんじゃないか、そんな恐怖感とでもいう気持ちになることもある。

言葉を大切にしたい、略語をなるべく使わぬようすることから始めるのがいいのだろうか。

2006/02/20

略語に悩む

「“FF”ってなんのことだかわかりませんか」そう聞かれた。
文脈からいって前輪駆動車のことではない。
“ファイナル・ファンタジー”でもないようだ。
“ファースト・フード”、“ファイン・フード”もどうもしっくりいかない。
結局何のことだか見当が付かなかった。

最近、どうにもわけのわからない略語が多すぎはしないか。

“業界用語”をこれ見よがしに使うタレントの悪影響なのだろうか、業界外で脈絡もなく使われてもわかるわけがない。
私の所属する業界にもおかしな言葉がある。
  「死んでるか」
  「活きてるな」
  「切るか」
  「殺せ」
なんとも物騒な言葉である。
が、普通の会話なのである、私の業界においては。

“AV”だって猥談の中で使えばもちろんあのビデオ Adult Video である。
家電量販店なら Audio Visual となる。
これが写真家が使えば Aperture Value となり絞り値のことをあらわす。
つまり餅は餅屋が作ってこその餅なのである。

何気なく使う略語、気をつけなきゃいけない。
会話を、意思の疎通をしようとしているのだから。

2006/02/19

タイ風焼きそばを食す

タイ料理店でタイ風焼きそばを食した。

「そば」といっても蕎麦粉を使ったものではないようだ。
きしめんのコシを強くしたような感じである。

私は粉で作ったものが大好きなのである。
饂飩、蕎麦、パン、肉食系より穀物系人間なのかもしれない。
うまい店があるといえば気になるし、食べたことのない“粉料理”があると知れば探してしまう。

友人からこのタイ料理店を紹介してもらったとき、このメニューを注文するのは決まったようなものだった。

“麺”は中国に生まれ世界中に広がったという。
味付けはその国々の気候風土によりそれぞれ千差万別なのだろう。
タイ風焼きそばは甘辛い味付けであった。

たぶん、この料理店の味付けは日本人好みにしているのではないか、そう思った。
私はタイに旅行したことはないのだが、気候風土が日本と違いすぎる。
タイの暑い気候の中で作られた甘辛さをそのまま日本に持ってきたのではどうなんだろうか。

野菜も違うだろう…。
本場のものが食べたい、そう思ったら無性にタイに行きたくなってきた。

2006/02/18

自分でも呆れるほどよく寝た

たぶん非常に疲れていたのだろう、今日は一日中寝ていた。
起きたのは3度の食事と風呂と便所くらいだった。
あまりにも長く寝ていて身体が痛くなったほどだ。
昨日、床に入ったときはそれほど眠いと感じたわけではなかった。

今朝、朝食後に再び床についたのがそもそもことの始まりだった。
暖かい布団のなかで本を読んでいて寝てしまった。
目が覚めるたのは昼過ぎだった。
起きていたのでないから腹は空いていない、しかし習慣で食事をする。
午後は約束があったのだがやるべきことができていない、また寝てしまった。

最近、ストレスが高じて眠りが浅くなってきた。
睡眠導入剤を処方してもらいだし、何とか眠れるようになった。
しかし、今日はそんな薬にお世話になったわけではない。

明日は日曜日、特別仕事はない。
そんなストレスから開放されたことが身体を眠りにいざなったのだろうか。
いや、身体というより心なのだろう。

今日は自分でも呆れるほどよく眠った、これが私の安全弁なのかもしれない。

2006/02/17

2月14日の陰謀

2月14日、もちろんバレンタインデーの件である。

日本でバレンタインデーが菓子業界(特にチョコレート業界)の陰謀の産物であることは誰の目にも明らかなことであると思う。
それに比べホワイトデーはたかが知れている、そう思っていた。
何年か前までは下着業界が躍起になっていたが大して効果が出ていたと思えない。
多少、義理返しで菓子業界が潤うのかな、そう思っていた。

実際はそうでないとのことだ。
友人のケーキ店ではバレンタインデーは大忙しだという。
だが、ホワイトデーはバレンタインデー以上に儲かるのだそうだ。

今年のバレンタインデーで売れたチョコレートの半数は自分用ではないのか。
残りの99%は義理チョコ、安いチョコレートなのだろう。
バレンタインデー用のチョコレートの単価は比較的安いのである。

ホワイトデーではあわれなオジサンたちが購入する番である。
たとえ500円の義理チョコレートを貰ったとしても、律儀なオジサンたちは“倍返し”を言外に要求され高価なお菓子を購入することとなる。
恐るべし菓子業界、只者ではない。
しっかりあるところから巻き上げる、資本主義社会の王道を歩んでいた。

そう、バレンタインデーは序章に過ぎなかったのだ、本章はホワイトデーにあるのだ。

2006/02/16

想定外と技術者

10年くらい前からエレベータのカゴの中、腰くらいの位置にスイッチが付いてきたのだが、よく目につくのでご存知のことと思う。
“身障者”用スイッチである。バリアフリー対策が推奨されたこともあり普及してきたものと思う。
“健常者”にもなかなか使いやすく、よく使われている。

私は使わないことにしている。このスイッチ、ほとんど知られていないが実は少しだけ機能が違うのだ。
ほんの少しだけだがドアの開閉時間が長くなる。
車椅子を利用する人へのエレベータ設計者からの小さな心遣いなのである。

“身障者”を想定したスイッチが本来の想定どおりに使われていないのだ。
その“ペナルティ”として少しだけ時間を浪費させられている。
いま容疑者となったホリエモンの言葉じゃないが、想定外というところか。

技術者は当然あらゆる場合を想定して設計する、しかし、実際には想定外のことが頻発する。
真に使いやすいものはその想定外とどれだけ真剣に向き合ったかで決まると思っている。
しかし、なかなかそういうものにお目にかかることがない。

技術者が良心を捨て手を抜いているのだろうか、それとも想定外を検証するつもりがないのだろうか。

2006/02/15

ストレスがストレスを呼ぶ悪循環

今日は朝から調子が悪かった。

昨日朝一番に着くよう頼んでおいた書類が届いていない。
結果的に夜業明けで寝ていた業者をたたき起こし、昼過ぎに一件、夕方に一件届くことになった。
業者もストレスだろうが、順調にいかない、予定通りにいかないのはストレスの元だ。

一段落すると、資料の誤記を見逃したため調整がつかない状態になって困り果てた業者が泣きついてきた。
誤記した部署の責任をついてごり押しするのも手なのだが、追加作業を無理無理入れた当方にも弱みがあった。
結論を出さねば出るわけにも行かない。
電話をあちこちかけまくる、謝りまくる、ストレスが溜まる。
本当は午前中に打ち合わせに行かねばならぬのになかなか出ることができない。
夕方になってやっと一応の結論が出た。

夕方遅く、午前中に行くはずだった打ち合わせ先へ急ぐ、もう直帰しかあるまい。
ストレスで胃が痛み出した、余計なことは後回し、とにかく打ち合わせを急がねばならない。
その思いが、焦りが最後の失敗の元となった。

打ち合わせ先では遅れたことを詫び、言い訳をし、無理なお願いをする、またストレスが高じる。
打ち合わせとは言うがその実は何が何でもやらなければならないお願いなのである、仕事とはいえ胃に悪い。

くたくたになって帰宅した、最悪の日だった、そのときは過去形で思った。
しかし携帯電話が鳴り、さらなる不幸が舞い降りた、最悪の日は進行形であったのである。

今晩必要な手続きができていない、目の前が真っ暗になる内容だった。
ない知恵を絞る、でなくても搾り出すしかない。
なんで取り返しのつかない時間になってからしか連絡しないんだ、そんな悪態を心の中で叫びまくるが、携帯電話では謝りまくるしかない。
ストレスで爆発寸前である。

…、今現在とりあえずなんとか一日が過ぎようとしている。

頼む、もう電話はいらない、鳴らないでくれ、俺はゆっくり寝たいんだから…。

携帯を忘れた日

携帯電話を家に忘れて一日を過ごした。
しかも、プライベートと仕事用どちらもである。
携帯電話に縛られている、そんな思いを再確認した。

仕事用の携帯電話を忘れたことで、業者と打ち合わせが全然進まず閉口した。
職場の電話から携帯電話を忘れたことを告げ、電話しても無駄なことを話した。
またこんなときに限り指示を伝えたいことは多い。

プライベートのものは電話できないことよりもメモ、スケジュールの確認ができないことに閉口した。
元来ものぐさである私はこまめに手帳をつけられないのだ、大概の事は携帯に入力しておしまいにする。

私の性格も再認識した。
「過ぎてしまったことは仕方ない」と思うことにしているつもりだった。
だがそれが少しもできていないのだ。
一日中携帯電話のない気持ち悪さを味わった。
もっと楽天的に携帯電話の呪縛からの開放を楽しんでもよかったはずだ。
家に帰り忘れた携帯電話の着信履歴を確認してやっとホッとした気になれた。
私が携帯電話の呪縛から開放されるのはいつの日のことなのだろうか。

2006/02/13

怪し系写真家

先日友人に尊敬の意をこめて“怪し系写真家”の称号を進呈した。
けっして莫迦にしているのではない。
彼がロモ・フィッシュアイで中華街から非日常的写真を切り取ってきた、それをたたえ称したのである。

http://spica7.lomo.jp/rbook/retopapa.cgi

写真を撮るということは自己表現の手段である。
人と同じような表現、先生の撮ったのと同じような写真、どこかで見たような作品、これらのどこに自己表現があるというのか。
“怪し系写真”の切り取り方、それが昇華していけば立派な作品となるだろう。

かく言う私もおかしなものを撮ることを第一に考えている。
人と同じ舞台に上がって闘ってもなかなか勝つことはできない。
風景はあきれるほど何回も何回も通い続けねば撮ることは難しい、私にゃそんな根気はない。
おネエちゃんの裸は…、私にゃ冷静に徹して観察する自信はない。
だから人が撮ってないものを探す、または見方を変える。
きれいなものをきれいに汚いものは汚く、では当たり前なのだ。

汚いものをきれいに、そんな“天邪鬼系写真家”が私の一側面なのである。

2006/02/11

ホンモノの料理

母と妹を連れて食事に行った。
ちょっと豪華な釜飯か海鮮丼でいいか、と考えていたがネットを調べていて気が変わった。

「和食創作料理」「本格的料亭の味」「元料理長」このキーワードに目が止まった。
賭けてみるか、そんな気になった。

その店は小さな店だった、おせいじにも綺麗とはいいがたい。
店の主人の第一印象も気難しそうに見えた。
「餅が黒こげだ」、オーブンを見て母が言った。
外したかな、そんな気が過ぎった。

ところがどうだ、大当たり、心で叫んだ。
元大手旅館の料理長の腕に狂いはなかった。

一品目は鰆のたたき、カルパッチョ風。
鰆への火の通し方が秀逸で絶品であった。
このドレッシングはどうやって作るのかの問いに、「同じものはできないねぇ、和食なんざ毎日変わるもんさ」
目から鱗が落ちる言葉だった。

二品目はいっぱいの茸とつみれの入った雑煮。
餅を食べてわざと黒こげにした意味がわかった。
こげは包丁でざっと取り除いてあった。
無味無臭の餅に香ばしさが加わっていた、うまい。

三品目はトマトの煮付け。
いつもの私ならこの組み合わせは見ただけで拒否ものである。
無条件拒否が無条件降伏に変わった。
この組み合わせを認めるしかない。

四品目は筍とごぼうの煮物。
ただ長い時間煮れば柔らかくなるものじゃない、柔らかいだけでもいけない。
筍は自宅で取れたものだという。

五品目はうどとマンボウのモツの刺身の味噌和え。
味噌には柚子がわずかに入っているのはわかったが、微妙なところがわからない。
素人と玄人の違いである。

六品目はご飯のシラスの佃煮のせ。
生シラスを煮たのだろうことはわかったが、もうお手上げである。

久々にホンモノの料理を堪能した。
マニュアルに従った綺麗で不味くはない料理はよくお目にかかる。
なかなかホンモノの料理にたどり着くことはない、だが今日は違った。

“和食創作料理”なのだそうである、だとすれば主人は新しい作品作りを続けるのだろう。
また来よう、そう思える店を一軒見つけた、幸せな日である。

2006/02/10

混雑する階段

ラッシュ時間帯の駅の階段の流れをみていつも思うのだが、人の流れというものは非常に面白い。

上方への流れ、下方への流れどちらもそうなのだが、けっして同じ幅では流れていない。
例えて言うなら楔形の流れとなる。
入り口は集中するために広いのだが、階段の終わりは反対の流れに押されて狭くなっている。
だから、双方向半々の人の流れがあったとしても階段の幅フルに流れたときの半分も流れなくなる。
なぜ上下の流れを隔てるしきいがないのか、発車ベルがなって目の前でドアが閉まったとき何度も思った。

人の流れはけっして液体の流れではない。
どちらかというと軽い粘性を持った粉粒体の流れに近いものと思う。
障害物周辺の流れ、立ち止まる人をよける流れ、自分が流れの中にいないとよく見えてくる。

工事で流れを変更しようとしていることも多いが、この粉粒体、意思を持っているから余計ややこしい。
頭で考えたことどおりに言っていない、このことに気がついている設計者・計画者が何人いるのだろうか。

2006/02/08

「○○さま」は聞き心地が悪い

昨日の『趣味の献血運動』の最後、「○○さま」について触れたまましめた。
話題を続けたいと思う。

これまで「○○さん」という呼びかけ方が「○○さま」に変わっていないだろうか。
サービス向上をうたう企業にこの傾向が多いように思えるが、どうも「○○さま」は聞き心地が悪くていけない。
友人の働くある大病院でも病院の方針として「お客様をお呼びするときは様付けにする」ことにしたそうだ、顧客第一の姿勢の一環なのだそうだ。
「○○さん」という呼び方が「○○さま」と変わったことでどれほどサービス向上があったというのだろう、ばかばかしい。
白々しい「○○さま」より「○○さん」の方がよっぽど親しみがわくと思うがどうだろう。

『趣味の献血運動』に参加していて近年「○○さま」と呼ばれるようになってきた。
「無償の愛」を訴える日本赤十字がドナーに対して「○○さま」、どこかおかしくないか。

表面的な「○○さま」より本当のサービス、ありがとうの気持ちの伝わるサービスを考えて欲しいと思う。

趣味の献血運動

献血は趣味である、ということにしてある。

高校卒業のとき友人に誘われて始めた献血だが、ほぼ月1回のペースを守り☆百回を数えることになった。
ただ、☆百回といっても一時日本赤十字で成分献血1回を3回とカウントしてたことがあるので、その実は★百回くらいになると思うが定かなことはわからなくなった。

献血をしている、というと好奇な目で見られることがある、何をわざわざ、といったことなのだろう。
なぜ献血を続けているのか。
「愛の献血運動」に深く共鳴して…、そんな恥ずかしいことは断じてない。
献身的、という言葉に何か“怪しさ”を感じてしまう私がそんなことをするはずはない。
だとすれば「趣味なんです」、こう答えることにした。
題して『趣味の献血運動』、いいだろう。

お気に入りのルームは「新宿東口」「池袋東口」「秋葉原」、たまに「上野」「渋谷2」である。
東京都内の全献血ルームを制覇してみようか、といういたって趣味的なことも考えたが面倒くさくなった。

日本赤十字の努力の賜物だろうが、最近は若い人たちが多くなったと思う。
特に「新宿東口」「渋谷2」はマスコミによく載るので若い人たちの比重が多いように思う。
施設も格段によくなった。
献血車は狭くてベッドも居心地が悪かった。
今のルームのリクライニングチェアは非常に楽だ。
働く看護師さんたちにもいいだろう。

しかし、最近居心地の悪くなるものもある、呼び出しのときの「○○さま」である。

(続く)

2006/02/07

あるおめでた

今日はある家庭におめでたの兆候があったのだそうだ。
新しい生命が宿る、たしかにおめでたいことである。
その家庭の男子は“特別なX遺伝子”を持っているのだそうだ。

国会では歴史だ文化だと大騒ぎである。
ある一族の持つ“特別なX遺伝子”はよほど大切なものであるらしい。

特別でないX遺伝子を持つ私には、あの家庭は大変だな、という気持ちしかない。

2006/02/06

クルマを買い換えた

クルマを買い換えた。

前のクルマ 日産ステージア RS FOUR V 、はっきり言えばスカイラインが欲しかったのだが R34 スカイラインにどうしても触手が出ず、直6のターボに乗りたい、ただそれだけで買った車だ。
だが、すぐに大好きな車になった。
フロントグリルの押し出しの強い車は好きでない、違和感があったのだがすぐ慣れた。

ボディ剛性の高さとしっかりした足回りに惚れた。
トルクののったパワーのあるエンジンも心地よかった。
そんなクルマと9年付き合った、4万5千キロ弱しか乗れなかった。

クルマを買い換えようか、そんな気になったのは昨年洗車しているときに見つけた錆だった。
気をつけていたつもりだが、ここ最近の手抜きが錆をよんでいた。
基本性能がしっかりとしているクルマ、外観だけで手放すのは惜しい、そんなふうに思い込もうとした。
そう、車検も通した、あと2年乗ろう、そう思おうとしていた。

でも、いくらなんでも次は買い換えだな、そんな気持ちから中古車探し、ディーラーめぐりを始めた。
半分以上冷やかしのつもりだった。

営業マンは恐ろしい、そんな心をこじ開けてきた。
「今日決めていただけば○○円サービスします」「ちょうどマイナーチェンジしたばかりで、前の型でよければ在庫が少しあるんですよ」云々。
ほとんど中古車で決まりかけていた気持ちが金額を聞くたびに揺らいでいくのがわかった。
もう少し攻めてみるか、こう思ったときには術中にはまっていたのだろう。
結局、心に決めていた中古車と大差ない値段で落ちた。

もっと乗るつもりだったのに…、まだエンジンの調子のいいクルマが愛おしくなった。
下取り名目でかなり値切ったが97年式じゃ行く先は見えている…、最後まで乗り切れなくて悪かったな、そんな気持ちになった。
納車までの短い時間、しっかり乗ってやろう、そう思った。

しかし、別れは突然やってきた。
「急でなんですが、おクルマの用意ができました。明日お渡しできます」、そんな電話がかかってきた。
翌朝軽く洗車した、ずいぶんと傷をつけてしまったものだ。
外していたエンブレムも元通りつけた。
掃除も終わった。
ディーラーまでの約5キロ、ラストランはあっという間だった。

うれしい事実がわかった。
潰されないですむという、誰かが乗ってくれるのだ。
あまりいいオーナーでなかったが、次のオーナーには大切に乗って欲しいと思う、いいクルマだ。

2006/02/05

父の目に映っている光景


入院している父に会いに行った。

たぶん私と同年代では同じ人が多いと思うのだが、会いに行っても父と交わす言葉は少ない。
行かなきゃいけない、と思う心が重い足を病院に向かわせ、話し合うことない父子が5分かせいぜい10分向かい合っている。
外見だけ“親子”を取り繕ってどうするんだ、そんな思いが心を重くしていた。

「行って本でも読んでいればいいのよ」
友人のこの言葉が私を救ってくれた。
会話をしようとするからいけないんだ、そのことに気がついた。

家にいても一日中テレビを見ていた父だが、大部屋を気にしてか戦後派の父にとってレンタルテレビ代がもったいないのかテレビを借りていなかった。
退屈だろうからとラジオを持っていったがついぞ聞いているのを見たことがなかった。

毎週、レンタルビデオとパソコンを持って父の病室に行く習慣ができた。
聞けばいらないというが、聞かなきゃ言われることもない。
父は何も言わずパソコンの画面を見つめている。
約2時間、じっと見つめている、少しは楽しんでいるのだろうか。

天井を見た、一日のほとんどの時間父の目に映っている光景だ。
これよりははるかにマシなのだろう。

2006/02/04

中華街で担々麺と半チャーハンを食す

今日は中華街にとっては特別忙しい日だったのかもしれない。
春節の獅子舞が舞い、爆竹が轟いていた。

かなり遅い昼食をとりに裏手の飯店に入り、セットものの担々麺と半チャーハンを頼んだ。
昼の忙しい時間が終わり春節とはいえ暇な時間だったはずだ。
写真のチャーハンは食べかけではない、出てきたそのままである。

味は悪くないし、速やかに出てきたことは評価しよう、しかしこの盛り付けはなんだ。
見た目だけがすばらしく味は二の次というよりはましかもしれない、しかし…。

2006/02/03

“廃墟”というものについて


丸田祥三著 鉄道廃墟 を読んだ。

廃墟とは人間の作った構造物等がうち捨てられ朽ち果てている状態を言うのであろうか。
とにかくそこには人間の活動があった、その証である。
数年前のものから数十年前のものまで、鉄道に関する廃墟を数多く収集している。

全国各地から収集されているが、どちらかといえば地方が多い。
やはり大都市部、特に首都圏では新たな開発が行われるから廃墟は残らないのだろう。
廃墟はその土地そのものの存在を含めて忘れ去られる、ということか。

廃墟はブームにもなった。
いくつか廃墟ブームにより有名になった地も紹介されている。
なぜ人は廃墟に関心を持つのだろう。

私も建設に関わる者だが、廃墟になりそびれたものはあるが廃墟になったものには幸い関わっていない。
次の目的のための破壊、それは日常である。
建設部門にいると物作りばかりに目が行くものである、しかし、建設とは破壊でもあるのだ。

霞ヶ関ビルの建設が進むころ、私の恩師が面白いことを言った。
「わたしはあのビルをどう壊すのか見てみたい」、へんなことを言うなとそのときは思った。
今では私もそれを楽しみにしている。

構造物は丈夫だ、だが朽ち果てるのでなければ破壊される。
破壊から免れたものが廃墟なら、後の世に現世の人たちの営みを残すのは大都会ではなく地方の廃墟なのかもしれない。

2006/02/02

遅ればせながら白土三平を読む

誠に遅ればせながらであるが、白土三平著 カムイ伝を読み出した。

私はマンガ好きである。
そして作者が好きになるとほとんどそろえてしまいたくなる。
そんな読み方をするものだから非常に偏ってしまう。

いわゆる「トキワ荘」系の作家が好きなくせして、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫はほとんど買っていない。
自分でも不思議だ。

マンガは絵が汚くては興ざめである。
ストーリーも引きつけられるようなものでなくてはだめ、リアリティーも必要だ。
ギャグは下品ではいけない。
今のお気に入りは、あさりよしとおいしいひさし浦沢直樹佐々木倫子とり・みき細野不二彦山下和美ゆうきまさみ というところか。
さかのぼれば、大御所 手塚治虫あすなひろし吾妻ひでお小山田いく鳥山明 となる。
白土三平 も私の基準からすれば入って当たり前、今まで買わなかったのがおかしいくらいだ。
白土三平 に手がつけられなかったのは、カムイ伝 にしろ 忍者武芸帖 影丸伝シートン動物記 といった大長編に気負わされたのかもしれない。

さて、その カムイ伝 であるが、期待を裏切らない。
登場人物があれだけ多いと破綻してしまうものだが、全集の10巻(全38巻)まで来たところでも登場人物が物語りを拡げ飽きさせない。

白土三平 のマンガを単なる忍者マンガとしてみた場合、「マンガの世界、ありえないこと」とされてしまうだろう。
しかし、白土三平 は忍者を狂言回しに人間ドラマを描いているのだ、忍法が科学的に実現できないものであったとして何が問題だろうか。

白土三平 のマンガには支配層と被支配層の闘い、階級闘争が描かれる。
白土三平 が強く描かなければいけないと思ったこと、それは時代の変革だったのかもれない。
江戸時代という身分社会の場を借り、人間が人間を搾取し支配する世界を描くこと、そこに我々読者は何を思うのだろうか。

近年、マンガを原作にしたトレンディードラマなるものが数多く作られている。
人を人が好きになる、充分ドラマチックであるはずなのだが、白土三平 の歴史観を背負った作品の前には“なさけなくなる”。

はっきりいって元気のないときにはつらいマンガである、心して読むことにしよう。

(本文中 敬称略)

2006/02/01

銀塩フィルムをなくしていいのか

フジフイルムが銀塩フィルム部門を削減するという。
コダックも大きくデジタルに軸足を移しているし、コニカミノルタにいたっては全面撤退を決めた。

京セラ(コンタックス)やコニカミノルタのカメラ部門、ニコンの銀塩カメラの削減はショックを感じたが、フィルムに比べると衝撃の大きさは違う。
コシナがツアイス・イコンを復活させようともフィルムがなくなってしまっては如何ともしがたい、兵糧攻めである。

私はキヤノンの Power Shot G2、EOS 10D、EOS 20D、IXY DIGITAL と使っており、デジタルの比重が大きくなっている。

だが、不思議に1970年代の金属写真機に惹かれてしまう。
いつの間にか、7S、F-1、FTb、EX AUTO、AE-1、A-1、NewF-1 とぞろぞろ集まってしまった。

今のオートフォーカスカメラ、EOS-1N RS、EOS-3 を使っていたほうがストレスなくたくさん撮れるし、失敗もはるかに少ない。
作品の撮影を考えれば間違いなく後者なのだ。

程度のいいカメラは中古でも値が張るが、プレミアのついたものでなく実用機なら何とか手が届く。
昔ほしかったが高くて手の出せなかった写真機を手元においておきたい、そんな気持ちがあるのかもしれない。

EOS-1N RS、EOS-3、EOS 20D でなく HEXER RF、CONTAX G2、RZ がここしばらく稼動している。
特に HEXER RF がいい。
アベノンスーパーワイド 21mm をつければフォーカスもそう気を使うことはない。

私は怠け者の気分屋である。
たまにリズムを変えて撮らないと、全然撮れなくなってしまう。
そんなときにはやっぱりデジタルでなく、銀塩、しかもマニュアルフォーカスなのである。

だから、フィルムは何を買っていいのか悩む、という楽しみを残して欲しいと思う。