sat's blog

2006/06/25

旨い店に出会ったのだけれど

横浜中華街の「山東(さんとん)」の水餃子を食した。

昔、関帝廟の近くの今はない店で食べた水餃子の味が忘れられず探していたのだが、結局インターネットを頼った。
あちこちのHPやBLOGで紹介されているだけあってかなり旨いし、ボリュームも満点だ。

しかし、どうしても昔食べた味が基準になってしまう。
その基準の店が現存しないとなると、その味も“神聖化”されてしまうため、なかなか一番旨い、というわけにはいかなくなる。

ずいぶんといい加減なグルメなのである。

2006/06/09

「2006日本写真協会賞受賞作品展」を観る

「2006日本写真協会賞受賞作品展」(http://fujifilm.jp/photosalon/)を観た。

年度賞:内山英明氏の作品は久しぶりに見ごたえのあるものだった。
最先端の科学、工学の姿がこれほどフォトジェニックなものだとは思わなかった。
巨大な造型は神秘な光を放っている。
人工心臓実験室のヤギは胸から何本ものチューブを出し、生き物なのに“生”を感じられない異様な姿をさらしている。
作者の着眼点が勝利を生んだ。

ちなみに私が関係した光景もあった。
内山氏は底の浅い設計者をあざ笑っているのだろうか。

2006/06/04

「マナー知らず」という言葉に違和感

朝日新聞夕刊に「私と愛国」という連載があり、識者の「愛国」に対する見解が示されている。
5月29日付夕刊(第4版)に作家の林真理子氏の文章が載ったのだが、冒頭の文章に違和感を感じた。
引用する。

オリンピックで日の丸が揚がり、君が代の歌が流れると素直に感動します。学校の卒業式や入学式で起立しない、君が代を歌わない姿をみるとマナー知らずだと不愉快に感じるけど、露骨に「愛国心」を持ち出すことも嫌。そんな矛盾した感情を持っています。(以下略)

何に違和感を感じたのか。
それは氏が、日の丸や君が代に疑問を呈し行動している人たちを「マナー知らず」だとバッサリ切り捨ててしまったことにある。
「マナー」という言葉を使い、“検討する範囲の外”に押し出す無神経さにである。

こうした「少数意見をバッサリと切り捨てる方法」が最近多くなってはいないか。
いろいろな場面で意見を異にすることがあるのだが、最近無意識にカヤの外に置かれていると自覚することがある。
ろくに議論を戦わせず、「マナー知らず」「○○だから」をレッテルをはる、これを無意識にしている。
恐ろしいことではないだろうか。

2006/06/01

「君が代」斉唱不起立呼びかけ罰金刑に思う

東京都立板橋高等学校の卒業式で「君が代」斉唱に反対し不起立を呼びかけた元教諭に、東京地方裁判所は罰金刑の判決を下した。

現在の、東京都政や日本の司法に夢は持っていないが、ここまできているのかと思い、恐怖すら感じる。
「君が代」という国民の中でも充分な合意を得ていないものを押し付けるものを正当な業務であると無条件に認定し、それに反対する意見を発する元教諭の行為で式の開式が2分遅れたことを「威力業務妨害罪」と認定した。

こんな論理を認めたら、“お上”に反対するすべての抗議行動は犯罪とされかねない。
個人や団体が企業や官庁へ抗議を行うことは当然のことで、誹謗中傷でないかぎり保障されるべきものだ。
これまでも公害をたれ流したり、不当労働行為を行った企業は抗議行動の対象とされてきた。
官庁も然り、薬害エイズ事件の厚生省前座り込みもあった。
“正常な職務をちょっとでも妨害された格好”にしさえすれば、「威力業務妨害罪」が成立するといっているようなものではないか。
この判決を“活用”しようという動きが出てくるだろう。

厳重処罰を求めるような質問を東京都議会で行った議員もいたというし、それに呼応しているかのように被害届を出した東京都教育委員会も正気の沙汰ではない。

「俺の言うことを聞けないヤツは認めない」、それは教育ではない。