sat's blog

2006/05/29

映画『ダ・ビンチ・コード』を観に行く

映画『ダ・ヴィンチ・コード』を観に行った。

小説『ダ・ヴィンチ・コード』は単行本で比較的早くに読んだが、正直なところ映画化はしんどいと思った。
単行本2冊にテンポよく書かれている謎解きの物語を2時間半程度に詰め込まなければならない、これはつらい。
また、大多数の日本人にとってキリスト教の周辺の理解がされていないだろうから、たとえ公開されても日本での大ヒットは難しいのではないだろうかと思った。

さて、ふたを開けてみればどうだ。
「公開と同時に大ヒット」なのだそうだ、だが本当にそうなのか。
たぶん、日本人に親しまれているレオナルド・ダ・ヴィンチを効果的に使った宣伝戦略の勝利が本当のところだと思う。

だが、これだけは言っておかねばならない、けっして駄作ではない。
ただ、日本人にとっては楽しむためにはそれなりの知識が要求されている映画なのだということだ。
これからこの映画を見に行くのなら、レオナルド・ダ・ヴィンチとキリスト教の周辺についての知識を実につけていった方がよい。
ただ単にコマーシャリズムに乗っけられて映画館に運ばれただけでは良くわからない映画になってしまうだろう。
それを端的に味わったのは上映終了の瞬間だ。
観客の、どう理解していいのかわからないという意識が映画館中にあふれた。

映画が観客を選ぶ、日本にとっては結果的にだが、こんな映画があってもいいのではないか。

キリスト教文化圏の人々がこの映画を見る環境を、日本の場で再現するとしたらと考えてみたのだが、日本での大バチカンを敵に廻すような勇気ある映画人がこの日本に何人いるだろうか。
もしそれが映画化されたらどのような光景が繰り広げられるか、想像するのも…。

2006/05/18

「脳」の本を立て続けに読む

脳に関する本を立て続けに読んでいる。
脳について考えるとき、どうしても思ってしまうのがホムンクルスである。
脳の機能はけっこう詳細に解析が進んでいる。
目や耳、鼻、味蕾、その他の感覚器官からの信号は脳のどこの部位に届き、次の部位に伝わりその興奮が大脳新皮質のどこらで処理されている…、さて、我が意識はどこにあって全体を見ているのだろう。
こうした悩みを思うとき、全能なる小人、ホムンクルスが登場するのである。

しかし、もし脳内知性としてホムンクルスがいたとすればホムンクルスの構造も調べることになり、どこまで行ってもとまらない。
まさかたった一つの神経細胞が外部刺激を処理し、思考し、運動をおこなう指令を出しているのだろうか。
そんなことがあるはずはない。

あと数十年たつとコンピュータ技術も構成素子数が脳に匹敵するだろうし、二次元配線から三次元配線に飛躍しているかもしれない。
「脳」を完全に電子素子で置き換えられたとき、やはりそれは理性と呼ぶのがふさわしいのだろうか。

なかなか「テーマ」としては面白い分野である。

2006/05/14

究極の親子丼を食す

究極の親子丼なるものを食した。
比内地鶏を備長炭で焼いたものをとろとろの卵でとじたものだという。

「うん…、まずくはないのだがなんだろう、なにか違うなぁ」、これが第一印象であった。

そのうちその違いがわかった。
焼き鳥を串から外して卵でとじたものなのだ。
ご飯全体にだし汁がかかり同じ味をずっと食べ続けなくてならないこともつらい。
比内地鶏の味を出したいがため玉葱を入れなかったこともマイナスになったように思う。
あの店の一番のメニューは親子丼ではなく、やきとり丼だったようだ。

比内地鶏がまずくはなかっただけに、自分のチョイスミスにがっかりした。

常識のない工務店

弟宅が竣工し引っ越したので様子を見に行って驚いた。

玄関の照明スイッチは遅れオフ(消してから数秒照明が点灯)を指定したのに、そこには無配線で、別の玄関灯のスイッチは接触不良であった。
便所は換気扇便所照明等連動の遅れオフを指定したのに理解できていないようだった。
寝室の常時換気スイッチは接触不良で動作してなかったし、ねじのしめこみ不良であった。。
階段部の照明器具はメンテナンスのできる高さでない。電球ひとつを換えるのに命がけである。
だいたい、蛍スイッチ(暗いところで緑色の明かりがつく)は照明回路でオフとなった点くよう配線する事が、オンピカスイッチは換気扇などや納戸などの照明が点灯するとき点灯するように配線するのが常識だろう。
テレビの上にはインターフォンを置いてみたり、階段のスイッチでは手すりと干渉するような位置につけてしまうし…、何から何まで常識はずれなのである。

工務店はこのようなでたらめ施工の責任をどうするつもりなのであろうか。
まさか、「電気屋が悪いんで私も困っているんです」なんて事言わないだろうな。
元請責任と言うものがある。

必要ならば私も乗り込むし、弁護士も話しを入れておいたほうが良いだろう、そんな話をしておいた。


いま、今までの日本を支えてきたベテランがどんどんやめて言っているが、その現実のひとつなのだろうか。
ISOなるものにうつつを上げていていたり、コストダウンによる過剰なマニュアル化など、技術を守る努力をしてこなかったことの報いなのではないか。

日本の未来にはこれっぽっちも明るい話がないのかもしれない。
これは大変なことことである。

2006/05/12

相変わらず疲れがとれない

GWも終わったが、GW中はちょっと外出した以外は“休養”で終わった。
しかし…、相変わらず疲れが取れない。

自律神経の失調なんだろうか、他に問題があるのか、医者に行っても薬の種類が少し変わるだけ。
口先だけの“お客様大切”より、親身になって診察をしてもらいたい。

ただえさえ気力がめげているのだから。

2006/05/11

疲れがとれない

情けない話だが、疲れが全然とれない。
病院は内科もストレス外来も整形外科にも行ったのだが時間の無駄だったようだ。
今一番つらいのは手足の火照り、動悸である。

一応、検査ではなんでもないので、疲労が溜まっているせいだろうとのことだが長すぎる。

何か良い方法はないものだろうか。