sat's blog

2009/07/31

早川書房 ハヤカワ文庫SF336『鋼鉄都市』アイザック・アシモフ 著 福島正美 訳 を読む

本著は1953年に発表された作品を1979年に翻訳され発刊された、SFの古典的大作である。

アイザック・アシモフのロボットF作品であるが、推理小説としても立派に成立している。
こんな作品が半世紀以上も前に書かれているということは素晴らしい。
最近、SF小説からしばらく遠ざかっていたのだが、久しぶりにアシモフを読んで古典から読み直してみたくなってきた。
何年もの間褪せずに読み続けられる作品というのは素晴らしいものだと改めて感心した次第である。
(A)

2009/07/23

講談社 アフタヌーンKC『るくるく 9』あさりよしとお 著 を読む

マンガである、しかも間抜けなことに10巻を先に読んでしまったため、伏線がネタばれしてしまうことになってしまった。

10巻(最終巻)と合わせての感想は、もう少し伏線を明らかにしてもよいのではないか、ということであった。
この作家は他の作品にしても伏線の答えを読者への宿題にしてしまう傾向がある。
なにもかにも明らかにする必要もないが、その答えも知ってみたいと思う。

一筋縄ではいかない作家なのである。
(A)

講談社 アフタヌーンKC『るくるく 10』あさりよしとお 著 を読む

またまたマンガである。

この作家もお気に入りの一人である。
しかし、読んでいると何かおかしい、どうも第9巻を飛ばしてしまったらしいのである。
この作家は基本的にSFギャグマンガであるが、ストーリーマンガのように伏線も張ってあり、何を表わそうとしているのか読みながら考えると楽しいのだ。
本巻はこの作品の最終巻であるので伏線の半分くらいが明らかにされるのだが、ちょっと飛んだ感じがして初めて気がついた。
まことに間抜けな話である。
(A-)

2009/07/20

朝日新聞社 朝日文庫『子供たちの復讐』本多勝一 編 を読む

本著は1979年に上下巻の単行本として発刊され、文庫本上下巻(第1版)として1986年に、文庫本合本(第2版)として刊行された。

本書は重い、非常に重い。
しかし、この編者は重要な問題を見極める目を持っていると思う。
ほぼ毎日、新聞紙上に載っている記事の中からこの日本にとって重要な問題を取り出し、深度化していく手腕は見事である。
また、理論だてがきちんとできているので、非常に読みやすい。

ジャーナリストたるこの編者はフィクションの手法を採らないから、本当に重い。
この日本という国はどうなっていってしまうのだろうかと、絶望的な気分になってしまう。
編者が悪いのではない、こういった問題を起こす原因を作りだしている日本という国のシステムが悪いのであるが。

編者にはもっと新聞記者として働いてもらいたかった。
現在は『週刊金曜日』の編集委員として活躍されているが、やはり主舞台は新聞であろう。
新聞社社員としては「定年」があり、第一線から離される事は“やむを得ない”のだが。
「フリー・ジャーナリスト」という選択肢があろうが、影響力の大きさはマス・コミニケーションと比較にならない。

編者は日本で有力な良質なジャーナリストだと私は思うのだが、編者が属していた新聞社でははたして主流だったのかが問題である。
その新聞社は“進歩的新聞社”と知られているが、果たして編者のような新聞記者をどのように扱ってきたのだろうか。
一種の象徴、スケープゴートとして、「進歩的なんですよ」との姿勢を取っているように見せていただけではなかったのではないだろうか。

良質なジャーナリストは、どうしても反体制にならざるを得ないと思う。
ということは御用マス・コミニケーションには登場することが難しいということで、“儲からない”ということである。
こういった状況を解決するには、「一般大衆」が目を覚ます必要があるのだが、期待できるのだろうか。

2009/07/09

新潮社 書下ろし新潮劇場『珍訳聖書』井上ひさし 著 を読む

本著は1973年に刊行された。

この作家の作品は大好きである。
小説である『吉里吉里人』など、あの分厚い本を4時間で読んでしまったり、風呂につかりながら文庫本を1冊読んでしまうことなど朝飯前なのである。
そう、テンポがすごくいいし、批判精神が満ちているので面白いのである。

本作品はNHKテレビジョンで放送された『ひょっこりひょうたん島』の少し後の作品だと思う。
まだ、作家としては駆け出しではあるが、油の乗った元気あるころの作品である。
最近の作品も期待を裏切ることはない。

「才能のある人はいいなぁ」と、うらやましがるのが精一杯なのである。
(A+)

ノートパソコンが壊れた

ノートパソコンが突然不調になり、データをバックアップする寸前に壊れてしまった。

購入してから4年4ヶ月、ハードに使ったから仕方ないとあきらめるしかないが、最近のノートパソコンは壊れやすいと思う。
最近、安くなり出したといっても20万円近くの投資を要する。
月に均すと4千円程度になる、安くないのである。

最近の安いノートパソコンも買いなおしの対象として見て来たが、どうも“安かろう悪かろう”という言葉が離れない。
某社の比較的安いモデルをネットで調べた最安店から取り寄せることとした、月2千円くらいで使いたいのだ。

しかし、故障の原因はどこにあるのだろうか。
私がメーカーの技術者ならばそこいらを充分に調べてみたいと思う。

木阿弥書店『小説 落語協団騒動記』金原亭伯楽 著 を読む

本著は2004年に発刊された。

内容はと言うと、「落語協団」とは言うものの「楽○協会」の分裂騒動を小説にしたものである。
個人名もちょっとひねってあるが、「ああ、これはだれだれだな」とすぐわかるものである。
「楽○協会」の分裂騒動は当時の落語界に大激震を与えたものであるが、それに関わった落語家一人ひとりに大きな心の傷をつけたのではないかと思う。
数百人の規模の団体が分裂しかけたのである、双方にも言い分はあるだろう。
本著をもってして「楽○協会」の分裂騒動がわかったとは言うつもりはない。
しかし、「こういうこともあるのかな」と思ったことも事実である。

事実は小説よりも奇なり、という。
様々な打算や葛藤、義理と人情の上での分裂騒ぎではなかったのだろうか。

「小説」と名乗るほど「真実」の一側面が強調されるように思える。
面白い作品であった。
(A)

2009/07/06

講談社 ヤンマガKC『頭文字D 39』しげの秀一 著 を読む

またもマンガである。

私には珍しくこの作家の作品で買っているのはこの作品だけである。
作家に惚れたのではなく、作品に惚れたはずであった。

しかし、バトルが進んでいくと『ドラゴンボール』でもそうだったように次々と強敵が現われキリがなくなってくる。
しかも作品中での時間の流れと実時間での流れの違いのずれが大きくなりすぎ、「いくらなんでも今のクルマにAE86が勝てるわけはないだろう」との思いが強くなってきている。
そう、飽きてきたのだ。
作品はまだまだ終わる見込みがないが、このままでいくとどんどんその矛盾が拡大していく。

作者はいったいどう物語を進めていくのだろうか。
そちらの方が見ものになってきてしまいつつあるのは問題だろう。
(B+)

2009/07/05

角川書店『うつうつひでお日記 その後』吾妻ひでお 著 を読む

本書はマンガなのであろうか、いや日記なのだろう。

『失踪日記』の大ヒット以来、その周辺の著書が数多く出た。
便乗企画と言ってしまえばそれまでなのだが、この作家が好きだから買ってしまうのだ。

とはいえ、絶頂期の「吾妻ひでお」のようなマンガを読んでみたいものだと思う。
(A-)

PHP研究所 PHP文庫『植物は不思議がいっぱい』春田俊郎 著 を読む

本著は1992年に『砂漠のサボテンも本当は雨を持っている』を再編集・改題し、1997年に発刊したものである。

内容については興味がいっぱいなのであるが、いかんせんあまりにも読みにく過ぎる。
著者の文章力なのか、編集が悪いのか、両方かもしれない。
講談社のブルーバックスシリーズではここまでひどいものがないから、編集の腕なのだろうか。

内容が興味あるものだっただけに残念である。
(C)

2009/07/04

映画『湖月Ver. 愛と青春の宝塚 ~恋よりも生命よりも~』を観る

断っておくが私は宝塚ファンではない、念のため。

この映画は「コマ劇場」のファイナルを飾ったミュージカルをそのまま映画化したものである。
はっきり言って観劇もどちらかと言うと趣味ではない、映画の方がいい。
今回、ひょんなことからこの“映画”を観ることになったのだが、観劇と映画の鑑賞方法に大きな差があることに気がついた。

観劇では舞台上で繰り広げられる芝居のどこを観るのか自分で判断しなければならないが、映画では製作者が丁寧にどこを観るのかを示してくれるのである。
なるほど、私が芝居をあまり観ない訳がわかったように思った。

映画の内容はまぁ、3時間の長さの割には適度な密度であり、わかり易いと思う。
で、この“映画”が「好きか嫌いか」と問われれば、まだわからないと言う答えになる。

宝塚歌劇団にはかなり大きな偏見を持っていたのがわかったことが一つの成果であろうか。

映画としてみるのならばちょっと物足りない、芝居を見逃した宝塚ファンにとってはわかり易い“映画”なのだろう。
まぁ、楽しめないことはなかった、というところか。
(A-)

2009/07/01

山崎光学写真レンズ研究所

山崎光学写真レンズ研究所に行って来た。

「ebay」で落札した「Leica IIIg」におまけで付いていた「Summar 5cm f2.0」の拭き傷とクモリを取るための再研磨とコーティングを依頼しにである。
所長の山崎和夫氏が力強く「これは修理できる、見違えるほどいい絵が撮れるよ」と言ってくれたので嬉しくなってしまった。

「Summar 5cm f2.0」と言えば1930年代の製造である。
「Leica IIIg」が自分と同じ歳だとすれば「Summar 5cm f2.0」は親の歳ぐらいである。

「Leica」恐るべし、今世界を席巻している日本製のデジタル一眼レフには絶対に出来ない相談である。