sat's blog

2006/03/30

タイ風カレーを食す

タイ風カレーを食した。

一口にカレーといっても多種にわたる。
日本で食べらているカレーの大部分は英国風のカレーである。
インド・パキスタン・ネパール・タイなど東南アジアから中近東に分布しているのだ。

日本風のカレーとは似て非なるものが多い。
タイ風カレーもそのひとつとでないだろうか。

日本にある各国の料理店では材料も客層も日本的にならねばならぬのだろう、米からしてコシヒカリを使用しているとうたう店を多いし、イスラム・ヒンズーでは考えられないポークカレー・ビーフカレーを提供している店も多い。

タイ風カレーを食した店は日本化はそれほどしていないが、現地の気候・食材で作られている本物を食べてみたくなった。

2006/03/28

本物のサービス

今日、あまりにも身体がしんどいのでスポーツマッサージに行った。
今は元力士のD氏がやってくれるのだが、昨年末まではW氏がやってくれていた。
W氏は研究熱心な方で毎回必ず違った技を見せてくれ、ちょっと何か言うと必ずそれを次回に活かしてくれた。
人気がありほとんど空き時間がないくらい客が押しかけていたが、空くと入り口に立ち笑顔を振りまいてくれていた。
W氏はアルバイトであり理学療法士になるべく勉強をしていたので、昨年末にD氏と交代したのだ。

D氏も力もあり身体を熟知しているうまい方なのだ。
W氏が長い時間をかけて探ってくれたつぼを的確に探し出していく。
すごい人だと思っていたのだが、今日その秘密を教えてくれた。
W氏がこと細かく各人のつぼを書きとめたノートをおいていってくれたのだと言う。

驚くと同時にW氏のアルバイトという範疇をはるかに越えたプロフェッショナル魂を見た思いがした。
「お客様」なんて言葉はいらない、こういった本物のサービスを望んでいるのだ。

Wさん、ありがとう。
あなたならみんなに好かれる立派な理学療法士になるだろう。

2006/03/27

情報誌の力

またタイ料理が食べたくなり、先日ここでふれたタイ料理店へ友人と出かけた。
どちらかといえば余り目立ったところにあるわけでもなく、人気店というほどではない店だった。
しかし、当日は店内は満席、店の前には行列ができだしたではないか。

店主に聞くと、某情報誌が取り上げたのだという。
どおりで同じメニューがたくさん出ていく、お勧めというわけだ。
店主もコックも大忙し、味に狂いが出なければいいが。

マスメディア情報誌の持つ力を垣間見た“瞬間”であった。
問題はこの繁盛がいつまで続くかにある。
友人がやっている店では3ヶ月もったそうだが。

こういった店にとって“想定外”の繁盛は、その店のリズムを乱すことになりはしないかが心配である。
まぁ、「その気」になるような楽天的な経営者はいないだろうが。
繁盛していないとき通ったコアな客にとって入りにくくなったことは事実である。
情報誌を見てくる客の大部分は一見客だろう、それをどこまで捕まえきるか。

他人が仕掛けたアクションにどう乗るか、お手並み拝見というところか。

2006/03/25

PIE2006に行ってきた

PHOTO IMAGING EXPO 2006 に行ってきた。
なんと今年から有料、そして参加企業のリストからコシナ、コニカミノルタ、ライカの姿が消え、SONYが入っていないのである。
銀塩カメラは絶滅した、と宣言しているような PIE2006 であった。
へそ曲がりの私にとって銀塩をしっかりやってみたい気持ちが昨年来大きくなってきたのだが、かなり難しい状況になってしまったようだ。
帰りに「我楽多屋」で FD28mm f3.5 を購入してしまったのは反動以外の何者でもない。

もちろんデジタルカメラは使っているし、値段の折り合いが付けば EOS 5D、EOS-1Ds mk-II はもちろんほしいのである。
しかし、フィルムの味も忘れたくないような気もするのである。

売れないものは作ることができない工業機械としてのカメラ、銀塩はどこまで残ってくれるのだろうか。

2006/03/21

鶏コムタンを食す


本場物の朝鮮料理店で鶏コムタンを食した。

鶏肉が良く煮込まれており、旨みが充分に出ている。
焼き肉屋で何回かコムタンを食したが、これほど旨いものにお目にかかったことはない。
やはり、店内にハングル文字がおどっているような店で日本人向きの味でない本物を味わうのに限る。
味の深みが違う。

また足を運ぶことになりそうだ。

2006/03/20

アートと落書き

道を歩いていたらこのような“アート”に出会った。
ご丁寧に「I LOVE ART!!」と書いてある。

書いた本人は“アート”のつもりかもしれないが、私は落書きだと思う。
このようなものを“アート”という神経がわからない。
アートに対して失礼だと思う。

発表の場がおかしい。
“ストリート・アート”とでもいうつもりなのかしらないが、橋脚に書きなぐってある落書き、言い方を代えれば器物破損だ。

何かを表現しようという気持ちと、公共物や私有物に落書きをすることを同等と思ってはいけない。

なによりもこのような“アート”が他人の心を和ませてくれるだろうか。
アートとは人の心に作者が働きかけるものなのではないだろうか。

2006/03/18

久々の再会


クルマを買い換えた」で報告した前のクルマ、日産ステージア RS FOUR V に再会することができた。

場所は埼玉のとある中古販売店、ネットで検索していて見つけた。
永いこと乗ったクルマだ、一目でわかった。
展示場で確認してみた、見間違いはなかった。

プロのワックスがけはすばらしい、乗っていた時と輝きがぜんぜん違っている。
この状態だったらもっと乗っていたかもしれない。
調子は全然問題はなかったのだ、誰か大切に乗ってくれる人が乗ってくれたらいいのだが…。

2006/03/17

過負荷

年度末処理が進まず、ずいぶんとブログを休んでしまった。

毎日23時以降の帰宅を1週間以上続けているとさすがに体調がおかしくなってくる。
しかも年度末処理、時間に追われての格闘なのである。
やりたいこともやるべきこともすべて横に置いて格闘していたのである。
疲労がつまらぬミスをまねき、それの訂正で作業量が増大する、負の悪循環である。

年度末処理の主な処理は数字の拾い出しと簡単な加減乗除。
ただただそれが大量にあり、数字が1違っていても全体を洗いなおさねばならないのだ。
“事務職”の方から見ればなんだと思われることかもしれないが、いちおう私は“技術職”という位置づけになっているのだ。

勤務時間で言えば175%くらいの過負荷運転が続いているようなものだ。
あと2週間(で済むのか?)、機械だったらずいぶんと期待寿命を縮めたことになってしまうのだが…。

2006/03/08

「荒木経惟の写真術」を読む


「荒木経惟の写真術」という本を図書館で借り読んでみた。

荒木経惟氏の立ち位置とかけ離れているためか、氏の写真集を見ても何がいいんだかよくわからないと思っていた。
今でも惹かれる写真か、と問われればそうだとは思えない。
ただ、写真というカテゴリーは非常に広く何でもあるんだと思えるようになり、氏の書を読んでみようと思った。

写真の良い悪いを感じるのは己の感性の問題だから、氏の書を読んだことで氏の作品への感じ方は変わることはなかったのだが、同じ撮り方をしているんだ、という発見はあった。
撮るときはあくまでも直観力であるのだ。
氏とは生まれも育ちも違う、 氏が感じるものと私が感じるものとは違う。
氏をコピーするつもりはない、己の感性をどう磨いていくか、それが重要で難しい。

2006/03/05

マイナス思考な精神

どうも精神的に疲れているようだ。
ある確認不足が気になって仕方がない。
床についているとどんどん悪い方に物事を考えエスカレートしていく。

精神科で見てもらったらやばい状態なんだろうな、これ。

ストレスがストレスを生む悪循環に陥ってしまったのがわかっているくせに脱出できない。
終わったことと思えばいい、あとはなるようにしかならないのはわかっているのだが。

明日になったら、なんのことはない別に問題はなかった、となっていると思うのだが。

2006/03/04

天邪鬼な写真家

今日、ある公募写真展に作品を応募してきた。

私はつくづく天邪鬼なアマチュア写真家だと思う。

私の所属している写真団体は作品を最後まで自分で完成させることと、主題を明確化させるためモノクロームで作品を作る人が多いが、私の作品はここしばらくカラーばかりである。
しかし、カラーを使うくせに色を省略する、「まるでモノクロームだね」、と言われた写真もある。
だが、色をとことん省略してもやはりカラーでなければいけないものにもっていく、そんな天邪鬼さがある。

先日写真展の見方を書いたとき、タイトルで写真に写っていないものを補う作品を批判した。

今回の私の作品はそれに近いものである、タイトルを読んでもらわないと作品が成立しないのだ。
今回の作品はある部屋の天井を写したものなのだが、特にこれといったものは写っていない。
いや、写っていてはいけなかったのだ。
写っていないことが主題だったのである、そんな作品がはたして審査員の目に止まるだろうか。
たぶんだめだろうと思うが、写っていないことが作品、そんな天邪鬼もありだと思うのだ。

2006/03/03

人を怒ることは難しい

亡くなった友の話を葬儀の席でいろいろ聞いた。
私は彼が怒っているのを見た記憶がないのだが、他人は結構怒ることが多かったようだ。
それもかなり乱暴な怒り方だったり、上司に対しての怒りの爆発だったり。
それでいて彼のことを悪く言うような風評は聞いたことがない。

私は怒ることが下手である。
人を叱るということは非常に苦手である。
叱ることで自分の評価が悪くなるからということではない。
怒りを覚えることはこんな世の中、ないわけはない。
叱り方がわからない、怒りの爆発の仕方がわからないのだ。

逝ってしまった友に怒り方を教えてもらうべきだった、とつくづく思う。

2006/03/02

忘れ物がひどい

ここ最近忘れ物がひどい。
財布、パス、携帯電話、鍵、一通りのものは忘れ果たした。
忘れてはいけないと目立つところにおいて忘れてしまう。
かばんの中に入れて、入れたことを忘れてしまっている。

どうも、ストレスが高じると忘れ物が増えてくるようだ。
ストレスと忘れ癖に相関関係があるのだろうか、医者に聞いてみよう。

簡単に出てくるのだが、どうしても出てこない忘れ物もある。
そういったものは大概忘れてならないと思っているものだけに始末が悪い。
忘れ物防止のためメモを取るのだが、それも忘れてしまい役に立たない。

なんとも情けない話である。

2006/03/01

果てることない蒐集癖

京セラが撤退し、ニコンが縮小し、コニカミノルタが撤退して予断の許さなくなった銀塩写真であるが、そのいつまであるかわからないカメラとレンズに食指が動いてならない。
今検討しているのはレンジファインダーのボディと広角レンズ、それと大口径の標準レンズである。

つくづくへそ曲がりだと思う。
みながデジタルに拒否反応を持っていたころからデジタルに移行し、作品作りは主にデジタルに移行しているのに最近欲しくなる機材は銀塩なのである。

まだライカ教には入信していないからそれほど高価なもにはならないはずなのだが、やはりそこそこの値段にはなる。
まだ所有台数が1桁のころは現在何台所有しているか把握していたが、20台を越えたあたりからわからなくなってしまった。

その昔、620とか127というフィルムがあったが、今使っている135,120,220といったフィルム・フォーマットも永遠のものとはいえなくなってしまっている。
クラシックカメラを扱うカメラ店の店頭に620や127フィルムのカメラが展示され売れているようだ、蒐集だけが目的なのだろうか。
わたしはカメラは使えなきゃいけないと思っているから620や127フィルムのカメラは守備外だったはずなのだが、だんだん怪しくなってきたようだ。
金属製一眼レフ、しかも自分の使用しているメーカーにとどまっていたころはまともだったが、レンジファインダーカメラから中版カメラ、コンパクトカメラ、スプリングカメラと広がるにつれどんどん怪しいものになってきた。

結局、レンズがついていればなんでもいい、こうなってしまいそうな怖い予感がしないでもない。

わからぬお経

同期の友の通夜に参列した。

僧侶が二人、読経を続けていた。
厳粛な式のさなか、つまらぬことが頭に浮かんだ。
この読経は誰に対し読まれているのだろうか。

仏教の経典は宗派によって何を読むか決まっているのであろうが、読経を聞いている限り語彙として耳に入ってくるのはまれである。
どちらかというと音曲として感じることの方が多いのではないだろうか。

つまり、大切な経文を読んでいるのであろうが、何を言っているのかが全然わからないのだ。

ものによっては日本語でなくサンスクリット語で読まれているのもあろう、日本語としても通常の話し言葉でないために聞き取りができない。
馬の耳に念仏ということわざがあるが、聞いてわからなければまさに馬の耳に念仏なのではないだろうか。
現代話し言葉で語る読経もあっていいのではないだろうか、不勉強モノがふと感じた。

今晩の通夜では導師が最後に説法をしてくれたのが救いであった。