sat's blog

2009/02/28

平凡社 別冊太陽『土門拳 鬼が撮った日本』を読む

本著は写真家、故土門拳氏の生誕100年を記念して発刊された。
氏がなくなったのが80歳であるから、20年が経とうとしているのだ。

氏は“鬼”と呼ばれた、“写真の鬼”だ。
戦前から戦中にかけて日本政府のプロパガンダ企業であった「日本工房」に入社して頭角を現し、戦後写真界にリアリズム運動の大きな波を起こしてきた。
氏ららが戦後の日本写真界の方向を作り、引っ張っていったのは間違いはない。

しかし、今の日本の写真界にはこうした“鬼”がいるのだろうか。
そして、アマチュアではあるが私自身の写真に対する取り組みは、“鬼”にどのくらい近づいているのだろうか。
氏の起こしたリアリズム写真運動を引き継いだ団体に所属しながら、“鬼”には程遠いなぁ、と思うのだ。

氏の撮影した写真を何十年も経って改めて目にする、まことに恵まれていると思う。
氏のみならず戦後日本の写真界の重要な作品を見ようとすれば見ることが出来るのだ。

ただ見るだけではいけない、本著を読んでそう思う。
“鬼”を継ぐ気概も引き継がねばならない。
日本写真の進みをこうして振り返るのは、次に進むためにあるためのものであるからである。

2009/02/27

BIG COMICS『「鉄腕アトム~地上最大のロボット~」より PLUTO 007』浦沢直樹×手塚治虫 著 長崎尚志 プロデュース 手塚眞 監修 手塚プロダクション 協力 を読む

またしてもマンガであり、すでに豪華本として購入した本を一般本として購入したものである。
よって同じ内容の本を2冊買ったことになる。
バカじゃなかろうかと思うのではないか、自分でもそう思うのだから。

出版社の戦略にうまくハマってしまったといえばそれまでなのだけど、こういうのもあってもいいじゃないかと何故か強く思うのである。

2009/02/24

筑摩書房 ちくま新書『感じない男』森岡正博 著 を読む

本著は小説ではない、生命学・哲学・科学論をテーマに研究している大学教授の著書である。

本著は男性なら読む者を困惑させ、恥ずかしさを感じるだろう。
「ミニスカート」「制服」「ロリコン」だの、世の中からスポイルされかねない題材に一人称で検証を行っているのだ。

日本人にとって、特に男性にとっては自らの性はタブーとされてきたし、学生時代の猥談を除けばあからさまに語られることはなかったと思う。
そういった題材に、事もあろうか自らを検証材料に使っていくことに勇気がいったことだろうと思う。
本著の中でも触れられているが、著者が自らの姿勢を明らかにしながら講演会などで語っていても、“変態”を見るような反応もあったようである。

私は自分のことをとてもじゃないが話す勇気はない。

しかし、科学者、研究者の立場として第三者的立場も取れず、不特定多数の検証もし得ないものを扱うのはどうなのだろうかという気持ちもある。
自分はこうだから他人もこうだろう、という論理展開をしているわけではないが、では第三者はどうなのだろうか、検証する方法があるのだろうか。
事が事だけに、調査をするとしても正確な調査は難しいだろう。
「あなたはロリコンですか」、こう問われて誰が“本音”を語るだろうか。
一歩間違えれば変態、痴漢呼ばわりを受けることは間違いない。

だから一人称で語るしかなかったのだが、そこにまた限界が生じているのは事実だと思う。

が、しかし、勇気ある著者の、有意義な文献であることには間違いはない。

(A+)

2009/02/23

講談社 モーニングKC『天才柳沢教授の生活27』山下和美 著 を読む

またしてもマンガ本である。
作者の山下和美氏は青年誌でも女性誌でも活躍しているマンガ家である。

このマンガの主人公は“Y大経済学部教授”であるが、きまりはとことん守り、人間を始めとして研究対象となるものをとことん探求していく、“融通”の効かないところが面白い。
作者によれば作者の父親をモデルにしているとの事だが、マンガ化するにあたりかなり強調はしているのではあろう。

柳沢教授を狂言回しにして教授の周りの人間をあたたかく書き上げる山下和美氏のペンの力は素晴らしいと思う。
近い将来、なんらかの賞を取るのは間違いないと思う。

講談社 モーニングKC『ジパング39』かわぐちかいじ 著 を読む

本著はマンガ本である。
現代のイージス艦が太平洋戦争の真っ只中にタイムスリップした、というありえない設定からこの“リアル”な物語は始まる。

私は一人の作家の作品をとことん読むという癖があるのだが、かわぐちかいじ氏は数少ない例外である。
かわぐちかいじ氏の作品は他に『沈黙の艦隊』しかない。
日米で秘密裏に建造された原子力潜水艦が単艦で脱走し、なんと“戦闘独立国家”を宣言してしまうというヤツである。

昔、小沢さとる氏の『サブマリン707』という作品をわくわくした読んだ記憶が『沈黙の艦隊』に結びついて読んだのだ。
しかし、なぜかかわぐちかいじ氏の他の作品を読もうとは思わなかった。
日本国憲法を乱暴に踏みにじる設定に違和感を感じたのだろうか。
しかし、またこの『ジパング』でも日本国憲法の範囲内にあるべき海上自衛隊員が戦時中にタイムスリップしたという設定であるから、当然のように戦闘に巻き込まれていく。
作品中での“戦死者”は前作『沈黙の艦隊』の比ではない。

日本国憲法、特に第9条は何が何でも守らなければならない、と思っている私がこの“戦闘マンガ”にわくわくしている。
自分でもおかしなことだと思うが、“現実から投げ出された人間”の織り成す物語に引き込まれてしまうのかもしれない。

2009/02/20

朝日新聞出版『アサヒカメラ 3月号』を読む

本書は老舗カメラ雑誌のうちの一誌である。
定期購入しているので、その号の特集に惹かれて購入した、というわけではない。
何でもいいから、とにかく写真が上達したいから、と定期で購入しているのである。

しかし、メカニズム好きが災いしてついついグラビアからよりは新製品の解説やカメラやレンズについての記事に目がいってしまう。
“上手な写真の撮り方”といった記事には興味はない、写真は芸術であり、作品はマニュアルによって作るものではないからだ。
いい作品を作るのには、いい作品をたくさん見て目を肥やしていくのが一番だと思う。

それがメカニズムの記事に脱線してしまう、この辺が私の写真上達の限界があるということなのだろうか。

BIG COMICS SPECIAL『「鉄腕アトム~地上最大のロボット~」より PLUTO 07』浦沢直樹×手塚治虫 著 長崎尚志 プロデュース 手塚眞 監修 手塚プロダクション 協力 を読む

本著もマンガである。
仕方ないのである、好きなのだから。
今回読んだ本は、いわゆる「豪華本」であり、特別付録に『PLUTO設定画集』浦沢直樹 著が付いてくる。
通常版もどうせ買うのだけれど、このおまけと早く読みたいがために毎回購入してしまうのだ。

著作者名にあるように原作は『鉄腕アトム~地上最大のロボット~』手塚治虫 著であり、浦沢直樹氏と長崎尚志氏のタッグにより手塚眞氏の監修の元でリメイクされた作品である。
幸いなことに私は手塚治虫氏の作品も読んでいる。
その傑作を当代一の浦沢直樹氏がリメイクしたのである、当初この話を聞いたときには信じられないことがおこったと思った。

『PLUTO設定画集』や他の書籍にも書かれていたが、当初の設定は手塚治虫氏の設定にかなり忠実なものであったという。
今回の特別付録でその一部が公開され、なるほどと思った。
やはり手塚眞氏が主張したように浦沢直樹氏の絵でリメイクしたのは正解であった。
原作は雑誌「少年」連載時ではなく単行本になってから読んだため、たぶんでしかいえないが2回程度の連載であった話であったと思う。
それを次巻で完結するというのだから単行本8冊にまで物語を拡げた浦沢尚志氏と長崎尚志氏の力量には感服する。

リメイクであるから原作を大きく改作するわけにはいかないが、全8巻で終わるのではなく、もっともっと読み続けたいと思うのである。

(A+)

2009/02/19

朝日ソノラマ クラシックカメラ選書8『新M型ライカのすべて』中村信一 著 を読む

本著は1996年に発刊された。

先の『M型ライカの買い方・使い方』に引き続き「ライカ」についての本である。
この本は“ライカ病”患者のために書かれた、“ライカ病”重体者が書いた本なのだ。

「ライカ」についての本は内外を問わず数多く出版されている。
こんなことは「ライカ」以外にはないだろう。

「ライカ」は第二次世界大戦前後には「ライカ1台、家1軒」といわれるほど高いカメラであった。
現在でも決して安いカメラではない。
新品では80万円程度、中古はピンからキリまでだが、自分の歳より作られてから年数が経っているものでも十数万円から数十万円、プレミアムの付いているものは数百万円もする。
こんなカメラは他にはなかなかない。

「ライカ」を語り、「ライカ」に溺れる者は多い。
私には理解できないのだが、使うのではなく集めるのに精魂込めている者たちがかなり多い。
だから、「私にはライカは縁がない」と言っていた。
しかし、「バースディ・ライカを持とう」という宣伝文句には負けてしまった。
そう、2年前に「M3」を購入しているのだ。
その時はそれでおしまいだと思っていた。
しかし、もう一つの「バースディ・ライカ」である「Ⅲf」が気になりだしている。
困ったことだ。
“不治の病”である“ライカ病”に感染してしまったのだろうか。

使ってみると「ライカ」はそれほど使い良いカメラではない。
「ヘキサーRF」の方がはるかに快適である。
だけど「ライカ」なのである。

頭でわかっていても身体が言うことを聞かない、“ライカ病”にはこのような症状があるようだ。
幸いまだ私は「ライカ純正」のレンズを持っていない。
「エルマー」「ズミクロン」に始まるレンズは持っていないのだ、どうだ!

私の“ライカ病”は軽症である、決して重度のものではない。

そう考えることにして、「ライカ」にキズが増えることも気にせず、どんどん使っていこう、そう思うのだ。

(B+)

永かったぁ!

ようやくのことで父の死亡についての手続きが終わった。
最後まで残ったのは不動産の相続登記、ついでに合筆登記も合わせてようやく終わらせることが出来た。

「何でそんな面倒くさいことを自分でやってるんだ」と司法書士に依頼するようアドバイスをくれるものもいた。
インターネットや書籍を調べてみたところ、自分でやってやれないことのように思えた。

しかし、なにより一番の原因は司法書士に依頼するときの費用であったのは否定しない。
「20~30万円くらいかかるよ」と助言され、「1ヵ月分の給料じゃないか」と思った、高い。
「なら自分でやってみるか」、決定は簡単だった。

しかし、役所特有の専門用語、役所間のつながりの悪さ、素人が手続きを間違えずに行うのは容易ではない。
司法書士が商売として成立するのもまんざら不思議ではない。

かかった費用は書籍3冊に戸籍謄本、住民票、印鑑証明などで約1万円、時間と手間はかかったが、法律の仕組みが身にしみてわかったのは何よりの収穫であった。

父の死より約1年、永かったなぁ。

2009/02/18

友人のブログ(BlogRetography)が閉鎖した

私の友人が運営していたブログ(BlogRetography)が2月16日で突然閉鎖になり、驚きを隠せない。
定連さんも多く、なかなか面白い写真も多かっただけに残念である。
私が運営しているブログ(他に3つ)もそのブログに触発されて始めただけに、残念というよりは悲しいものがある。
仕事でも重責を担う忙しい友だから仕方がないのかもしれないが、残念の一言に尽きる。

これまでどうもありがとうございました。
最後の投稿が私であったのは…、哀しいぞ。

2009/02/17

BIG SPIRITS COMICS SPECIAL『チャンネルはそのまま!【HHTV北海道★テレビ】1』佐々木倫子 著 を読む

本著は2009年に発刊された、またしてもマンガである。

著者の佐々木倫子氏は私のお気に入りの作家である。
出会いは『動物のお医者さん』、定番である。

佐々木倫子氏は元々は少女雑誌に執筆していたマンガ家であるが、『動物のお医者さん』を境に青年誌に主な発表舞台を移し現在に至っている。
『おたんこナース』『Heaven?』『月館の殺人』それに本作品が青年誌に発表された作品である。

青年誌に発表された作品に共通していることは、主人公がちょっと頼りないということと、コメディが基本であるということである。

佐々木倫子氏は多作な作家ではない。
それでなのか、青年誌に執筆をする女性作家なのだからか、それとも力量があるのからか単行本は一般のマンガの単行本よりも装丁が立派である。
ということは当然高価になるのだが、それでも売れるということなのだろう、つまりは出版社は作家に力量があると判断しているのだ。

量産に向く絵柄ではないと思うが、佐々木倫子氏はもっと多くの作品を読んでみたいと思う作家の一人である。

(A)

PHP文庫『阪大医学生が書いたやさしい「がん」の教科書』松澤佑次 監修 駒沢伸泰 著 を読む

本著は2004年に発刊された。

現在、日本人の死因の約3分の1がガンであるという。
ガンに関するものは、解説書、小説、マンガなど多数が出版されている、それだけ関心が高いのだろう。
私もその一人である。
特にガンのメカニズムには興味があり、なぜ人がガンになるのか、なぜガンは人を殺すのかがなかなか不思議でわからないところであった。

本著を購入したのもそういう疑問を解決してくれると思ったからである。
確かに本著の「20歳の頃から多数のガンが体の中にできてくる」というのは、私にとって驚きの新事実であったが、如何せん、書名のとおり「やさしい」内容の本であり、深くガンのことを知ろうと思うものにとっては物足りないのは否めない。

著者は医学部の5年生であるからまだまだ若く、知識も監修者の病院長であり大学の名誉教授にかなうはずはない。
健闘はしているのだが、監修者の手による啓蒙書があれば間違いなくそちらを買ったであろう。

(B)

2009/02/16

ナツメ社『M型ライカの買い方・使い方』内田ユキオ 著 を読む

本著はドイツのライカ社の製品であるM型ライカの解説本である。

ライカというカメラは数あるカメラの中でも特別なものらしい。
そういう私も1956年製のM3を1台持っているのだから、何を言わんかななのだが。

ライカは丁寧に使えば100年使えるという。
私の持っているM3は50年を超えているが、まだ50年も使えるのだそうだ。

昔、ライカ1台、家1軒といわれるぐらい高価なカメラである。
いまでこそそこまではいかないが、新品を買おうと思うと50万円程度は覚悟しなければならない(レンズのないボディだけでだ!)。

なぜライカなのだろうか。

ニコンでもキヤノンでも使いやすさや写りは上ではないだろうか。
ライカのように失敗は少ない、シャッターボタンを押せばとりあえずは写る。

高度に電子化が進み、自動化が進んだカメラのアンチテーゼなのだろうか。
ライカは宗教なのかも知れない。

その入門本としてはちょっと物足りないかもしれない。

(B)

2009/02/15

パンドラ新書『【学校ごっこ】六輔、その世界史 六輔が活写する日本人の原点』永六輔 著 を読む

本著は2002年から2003年に日本青年館で行われた広域歴史史学団「学校ごっこ」の講義を再構成して発刊したものである。

本著は永六輔氏の自由奔放な“歴史講義”を“学校ごっこ”として収めたものである。
“ごっこ”であるから文科省の干渉を受けるわけもなく、自由に歴史を語っている。
しかし、この教科書には絶対載らない歴史感は、日本のおかしな状況を辛らつに批判する。
ラジオ番組で話す永六輔氏をよりパワーアップした内容は抱腹絶倒でありながら日本のばかばかしい現状を深刻に考えさせられる。

永六輔氏の語り、文章は軽く聞き易く読み易い、しかし、内容は非常に重い。
『大往生』『職人』といった軽くて重い文章を書き綴ってきた永六輔氏の本領が、本著にも十二分に現れている。

(A+)

2009/02/14

『蛇姫様 -わが心の奈蛇-』作 唐十郎、演出 杉田成道 を観る

『蛇姫様 -わが心の奈蛇-』作 唐十郎、演出 杉田成道 を観てきた。
唐十郎氏の作というので期待をして観に行った。

正直、演劇というものは一部付き合いで観たリアルな劇やコミカルな劇以外はほとんど観てこなかった。
昔、ある小劇場の公演を観てあまりのひどさに幻滅したからだ。

しかし、今回は唐十郎氏の作である、期待しても良かろう、と思っても不思議ではないだろう。
が、結果から言えば感激するほどのものではなかった。
出演者の演技が取り立てて下手というのではない、しかし、あの演出過剰にはどうもなじめないのだ。
期待は残念ながら裏切られた、と言ってもいいだろう。

「演劇は劇場によっても変わってくる」、とは同行者の言であるが、そうなのであろうか。
私に演劇を楽しむ感性が備わっていないことが原因なんではないだろうか、こう「ハズレ」に当たるとこうも考えてしまう。

日本の演劇は決して恵まれない中で頑張っていると思うが、観る側としては高いチケット代を払ってなら面白いものが観たい。
もし私に見る能力がないのであれば、無駄な努力なのかもしれない。

2009/02/13

文春文庫『時事ネタ』とり・みき 著 を読む

本著は「オール讀物」に1996年から2006年まで連載されていた『とり・みきの時事方眼』を2007年に単行本化し、2009年に文庫本として発刊されたものである。
これまたマンガである、やはり好きなのである。
2007年の単行本の際に2本、2009年の文庫本の際に1本の作品が書き下ろしで追加された。
私は単行本も買っているから、この文庫本は100本中1本の作品を読むために買ったようなものなのである。

それだけ「とり・みき」という作者が気に入っている。
比較的年齢も近く、「原田知世」つながりもある。
ギャグのセンスも好きだし、シリアスな作品もわくわくしてしまう。

なかなか少年誌は登場しないし、比較的自分の好きな作品を自由に書きたいと思う作者だから、出版社としては使いにくいのであろう。
一時期ほど寡作な作者ではないのであまり作品を目にする機会はすくないが、でも、もっともっと活躍して欲しい作者である。

光文社新書『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』城繁幸 著 を読む

本著は2006年に発刊され、わずか1ヶ月で5刷を発行した、売れているのである。

先日読んだ『ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る』も考えさせられたけれども、我々中高年にとっても「若者が3年で企業を辞めてしまう」現実は人事ではない。
「構造改革」が日本のあらゆる秩序を破壊し、弱肉強食の競争社会にしてしまった。
「能力のあるものは勝ち、能力のないものは恵まれることはない」というが、果たして能力があり恵まれた生活を送っている者たちがどれほどいるのだろうか。

このような日本にしたのは小泉純一郎氏もそうであるが、バブル崩壊前の国鉄の「分割・民営」化を推し進めた中曽根康弘氏であるし、「日本列島改造」で国土を破壊し財政破綻の種をまいた故・田中角栄氏ら歴代の政府・自民党の主導者たちである。
また、それを見抜けず踊らされてきた私たち国民の責任でもある。

年功序列が「日本型みんなで一緒労使関係」だと一方的に“悪平等”だと攻撃されたとき、「日本型労使関係」の利害をとことん研究してきたのだろうか。
諸外国(主にアメリカ合州国を中心とする欧米諸国)の「ドライな労使関係」が持ち込まれ、“能力のある人間”にもてはやされたとき、国民みんなが「私には能力がある」ととんでもない勘違いをしてしまったのだ。
経営者たちはそこに付け入った。

体制が変わるとき、“火事場泥棒”的に利益を独り占めにしてしまうものが得てして出てくるものだ。
ホリエモンなど代表的なものだろう、いや、道化に過ぎない小物であるか。

日本という国は敗戦直後からの経済復興を支えてきた高齢者に鞭を打ち、これからの若者たちの無限の可能性を無慈悲にも踏み潰している。
ああ、なんていい国なのであろうか。

これでは結婚しても子どもなんか『産んではいけない!』とばかり少子化に突き進むことになる。

どんなに遅くとも秋までにある総選挙はこうした日本の進む道を変える一つの道である。
しかし、現在の自民党・公明党政権が民主党を主体とした政権に代わったとしても、本質的には何も変わる事はないと思う。

本著を読んでみて、どこに行けばいいのか、途方にくれるしかない。

2009/02/12

『20世紀少年』を読んでいる女性を見る

会社の帰路、電車の中でドアにもたれ一生懸命本を読んでいるアラフォー(いや、もっと上か?)の女性の姿を見た。
あまりに熱心に読んでいるので、「どんな本かな」と思って覗いてみた。
すると、なんと『20世紀少年』(浦沢直樹 著)であった、マンガ本である。
いや、人のことは言えない、私もマンガ本は大好きであるから。

たぶん、映画『20世紀少年』を観てマンガ本にたどり着いたのだろうと思う。
マンガ本が映画に人を運び、映画がマンガ本に人を運ぶ、作り手・売り手としては理想的だろう。
考えてみればテレビジョンは何年も前からこの手法を使っている。
マンガ本に始まったわけではない、少し前までは小説だったのだ。
それが手塚治虫氏に始まったストーリーマンガが高度に発達し、有能な才能が小説家からマンガ家に動いたのではないだろうか。
いまや日本のマンガは芸術の一分野である。

アラフォーの女性がマンガ本を熱心に読む、なにも目くじらを立てることでもないのだ。

新潮文庫『産んではいけない!』楠木ぽとす 著 を読む

本著は2001年に太田出版より刊行されたものを2005年に文庫本化したものである。

最初、この書名を見て「逆説」だろう、と思って読み出した。
もちろん、著者も一児の母であるから子どもを産んだことを本当に悔やんではいないと思うのだが。

本著の内容は女性が「産んではいけない!」としか言うことができない日本の現実を鋭く指摘している。
子どもを産むことが出来るのは母親になれる女性だけである。
どんなに子煩悩であっても、平等な考えの持ち主でも、父親たる男性は子どもを産むことはできない。
どんなに男性が女性の力になろうとしても、自らの体内に異物たる生命を抱え1年弱も育てるのである。
産んでからも哺乳類たる人間は母親からしか母乳を出すことが出来ない。
どんなに頑張っても、自覚しても男性が出来ることは育児の周辺のことになるのだ。

また、日本社会は(日本だけではないかもしれないが)建前はともかく男性中心社会である。
会社を見てみよう。
子どもができた時に男性社員にも育児休暇を認める企業もあることはあるが、男性社員が育児休暇を取ることは稀であるし、はっきり言えばその社員の“勝手”である。
しかし、女子社員が出産となればどうしても育児休暇を取らないわけには行かない。
年齢的に考えても育児休暇は“損”である。
出産からある程度の年齢までの育児期間を休業することは、企業にとっても“企業人”にとってもキャリアが中断され、同期たちにおいていかれることになるからだ。

現在の日本の出生率は2を大きく割り、人口の減少が始まっている。
それも全体的な割合が一定に下がっていくのなら問題が少ないだろうが、高齢者層が増え若年者層が減っているのだ。
口先だけ「少子高齢化は問題」と言っている政府や政治家たちはこの現状をわかっていないだろう。
特に与党政治家の収入を見ればわかるが、この“連中”は高齢化社会がおとずれても本当に困ることはない“連中”なのだ。
「少子高齢化は問題」と“念仏”を唱えていれば票が集まると誤解している“連中”なのである。

この著者を含め子どもを愛する人たちが、「産んでよかった!」と思える社会を作るのは難しいが、それが実現される社会こそ本当の男女平等の社会のはずなのだ。

(A)

2009/02/11

『20世紀少年 第2章』を観る

『20世紀少年 第2章』を観に行った。

『20世紀少年 第1章』を観に行ったときにも書いたのだけれど、原作にとにかく忠実に作っている。
映画製作のエネルギーの大半をそこに使ってしまったといってもいいのではないだろうか。
マンガと映画をどうしても比べてしまうのは仕方がないことになる。

しかし、さすがに“たった映画3本”で原作マンガの全てを表現するのは無理だと思ったのか、大幅にストーリーが縮小されている。
それでも原作のあちこちに張り巡らされた謎が映画だけを観に来た人にわかるのだろうか。
マンガの大ファンである私には少々危惧されるものである。

この夏には『20世紀少年 第3章』が公開され、『20世紀少年』は終結する。
評価は3本そろってからにすべきであるとは思うが、3本中の2本目、中だるみなのかなあ、と思わなくはなかった。

(A-)

2009/02/10

平凡社新書『デジカメ時代のスナップショット写真術』大西みつぐ 著 を読む

本著は2002年に発刊されたものであるので、デジタルカメラ時代としては古い本である。
しかし、書名に「デジカメ時代」と書かれているからといっても、内容はスナップショットを中心にしているので思ったほど古臭くはなっていなかった。
第4章を除けば一般の写真入門書と言ってもいい。

ここ10年でデジタルカメラは急速に進歩し、また急速に安くなってきた。
フィルムカメラの製造台数を越えたばかりか、フィルムカメラを駆逐し、いくつかのメーカーをカメラ製造から撤退させた。
しかし、そういった現象を除いて考えてみれば、フィルムがデジタル素子に変わっただけのことであり、撮影者の意図する画像を記録することには変わりはない。

フィルムカメラの時代からなるべくたくさんのショットを撮影するようにしてきたが、デジタルカメラになってからはその障壁が低くなった。
また、撮影してすぐに画像を確認できるため、たくさんのショットを撮ることに抵抗がなくなり、結果として写真上達への道が近くなったのではないだろうか。

もちろん、フィルム写真は長いこと改良を重ねられてきたため、まだデジタル写真の質が追いついていないと考えておられる向きの方もおられると思う。
しかし、5年、10年経ったときにはどうなっているだろうか。
2千万画素オーバーのフルサイズセンサーを使ったデジタルカメラが(価格はこの際除くとして)容易に手に入れることが出来る時代になったのだ。
プリンタの改良も目を見張るものがある、銀塩写真にデジタル写真が並び、そして抜いていくことは時間の問題だろう。

本著は書名を『デジタル時代のスナップショット写真術』としてあるが、『スナップショット写真術』とすべきであろう。
それだけ写真への一般的な内容を解説しているのである。
「デジタルカメラ」そのものの解説は雑誌やムックに任せていれば良い。
「写真にどう取り組んでいくのか」をしっかりと記した本著のような単行本が多く出てくることを望むものである。

(A)

2009/02/09

携書『「婚活」時代』山田昌弘、白河桃子 著 を読む

本著は2008年に出たばかりで、もう第7刷になっている、かなり反響があるのだろう。
山田昌弘氏は家族社会学者、白河桃子氏は少子化ジャーナリストであり、本著のような内容にはもってこいの組み合わせなのではないだろうか。
その読者に私である、ある意味最強である。

昼休みに買って、一気に読んでしまった。
正直言って自分のことを書かれているようでつらい。

しかし、バブルの崩壊、差別化経済の進展が結婚に影を落とし、活動をしなければ結婚も出来ない、といった風潮を作ってしまったという内容には驚くと共に、なるほどと合点もいった。

この二人の著者はさすがに「家族社会学者」であり「少子化ジャーナリスト」である、よく分析をしている。

本著によって私は尻を叩かれた思いがした。

(A+)

2009/02/07

BUNCH COMICS『コンシェルジュ14』原作 こしぜきゆきひで 漫画 藤栄道彦 を読む

本著はマンガである、もちろんマンガも読むのである、というかマンガは大好きである。
ただし、マンガの傾向はかなり偏っていて何でも良いというものでもない。
今読んでいるマンガはちょっと高い関門を抜けてきたものだと思っている。

マンガはまず絵が大切である。
内容がよくても絵でまず選んでしまうので、どんなに内容が良くても目に入ってこない。
汚い絵は問題外であるが、綺麗な絵というのではなく、引き付ける絵である。

次に内容である。
ただだらだら続いているマンガは1,2度読んで離れていってしまう。

『コンシェルジュ』はこうした関門を通り抜けて読み出し、10巻を越える頃には次の巻が出るのを待ち遠しく待っているようになってきた。

気がつかれた方がいるかもしれないが、実は本著を発売予定日の2日前に購入して読んだ。
抜け駆けの発売をする書店があるのである。
普通の書店の書棚に並ぶのは明後日である。
何年か前、マンガ週刊誌を発売予定日前に売ってしまうことで問題になった書店があったが、単行本ではまだ残っている。
読者にしてみたらその書店に行けば1,2日早く読むことができるので“便利”であり、その書店にとっては儲かるのであるが、一般書店にしてみれば不公平だ。

さて、本著は新潮社が発行する「週刊コミックバンチ」に連載されている『コンシュルジュ』を単行本にまとめたものである。
コンシュルジュとは本著や石ノ森章太郎氏の『ホテル』などの影響により段々と知られる職種になってきた。
「客の望みにノーと言わず努力する」職種・コンシュルジュの紹介マンガから、だんだんとキャラクターたちの個人的内面的なマンガにと昇華してきたことによって魅力が上がってきたものと思う。

ただ、長期連載マンガにありがちなのだが、キャラクターがだんだんと増えてきているのが気になるところだ。
数多い魅力的なキャラクターは読者を引き付けるしマンガのストーリーに幅を持たす面もあるかもしれないが、ストーリーが散漫になり薄れてくる心配もある。
著者たちのお手並み拝見といこう。

ホテルという人間の集まる“世界”でのドラマである。
ネタはまだまだ尽きないだろう。
「週刊コミックバンチ」を支えていく作品になっていってもらいたいものである。

(A+)

2009/02/06

浄土真宗の葬儀に出る

同僚の母親が亡くなったので、通夜の席に出席した。
法要は浄土真宗の僧侶により執り行われた。
浄土真宗の葬儀では、香典袋は「御霊前」ではなく「御仏前」、死者はすぐ仏になる、線香は立てずに寝かせる、清めの塩は使わないなど、ほかの宗派とは大きく違う。

我が家の宗派はいちおう真言宗豊山派である。
僧侶の説法を聞いていて、真言宗よりも魅力を感じた。
だいたい、我が家の菩提寺の僧侶は説教というものをしてくれない。
法要のとき、ただ念仏を唱え安くないお布施を取るだけだからだ。

そもそも真言宗はお布施の“相場”が高いという。
浄土真宗のお布施の“相場”は半分である。

これは宗派の生まれ育ちによるものなのだろう。
真言宗は“支配階級”、浄土真宗は“被支配階級”が信徒の中心なのだろうか。

「無宗教者」としての私にはどちらの宗派も「葬式仏教」でしかないのではあるが、どちらかというと浄土真宗の方が近いような気がする。
なぜ、我が家は真言宗豊山派なのであろうか、謎である。

岩波アクティブ新書『はじめてのデジタル一眼レフ』伊達淳一 著 を読む

本著は2004年に発刊されたが、日進月歩で進化が進むデジタル一眼レフカメラを書いているので、内容は決して新しいとは言えない。
こう頻繁に本を読めるのも、実は職場の近くに新書や文庫本を安く売る古書店があるからなのだ。

興味のある本の中でも比較的新しいものを選んで買ってくるのだが、分野によって内容が古くなる早さが変わってくる。
本著のようなものは“足が早い”物の中でも特に早いほうであろう。
前の所有者も少し遅くなってから買ったのか、「内容が古くさい」といった落書きが何ページにかあった。
しかし、前の所有者が言うほど本著は古臭い内容ではない。
むしろ、基本を押さえているからもう少しは読み継げる本であると思う。
確かに機材、ソフトウェアは昔のものを紹介しているが、考え方は今でも充分通じる。

前の所有者が「古臭い」と感じたのはこういったところではないのだろうか。
だとしたら本質を読むことができない人のようで、大変もったいないことだと思う。

(A)

2009/02/05

ちくま文庫『医者が病院から逃げ出すとき』米山公啓 著 を読む

本著は2004年に経済界より『医者にNO!と言うための55の知識』として単行本で発刊され、2008年に文庫本化されたものである。

著者の米山氏は作家であると共に、神経内科、脳卒中、認知症を専門とする医師である。

古くは『白い巨塔』から始まって『ブラックジャックによろしく』まで医師の世界はドラマ化されている、“面白い世界”らしい。

一つ一つの小章は2~3ページ、せいぜい長くとも5~6ページであるのだが、そこに書かれた文章、言葉はするどく日本の医療を告発する。
この著書全てに同意できるわけではないが、医療の世界の非常識をこれほどおおっぴらに公表していいのだろうか。

どの世界にも不合理があり、矛盾がある、医療の世界も同様だろう。
本著のようにその世界をさらけ出すことによって、その世界が少しでも良い方向に向かって欲しいものだと心から願いたい。

2009/02/03

JIPPI Compact『宇宙誕生100万分の1秒後の謎』延與秀人 著 を読む

私は物理学、特に宇宙論や原子物理学が好きである。
本来、本著は高校生程度を目標に書かれたものなのだろうが、数式が現れないだけで充分知的好奇心を満たしてくれる。
本著は2007年末に書かれたものであるだけに、最新の情報が盛り込まれておりわかりやすい。

私が神を信じられなくなったのは中学生の頃に物理学に出会ったからだが、物理学の進歩はますます神の居場所を奪っていくように思う。
私が不思議なことは、物理学者全てが無心論者では決してない、ということだ。
どこに神の居場所があるのであろうか。

また、中学生から高校生の頃であろうか、数年もすればこの世の中の仕組みは全て物理学が解き明かしてしまうのではないか、と言われたこともあった。
しかし、一つ問題が解決すれば二つも三つも問題点が現れ、決して世の物理学者は失業の心配をすることはないようだ。

ただ、本著なり「ニュートン」なりの書籍、雑誌、ムックなどでは入門に毛が生えた程度の知識しか得られないことが不満になってきた。

そこで、ピアソン・エデュケーションの『重力 アインシュタインの一般性相対論入門』ジェームズ・B・ハートル著 牧野伸義訳を購入した。
大学の物理学部後半の教科書として書かれたもののようであり、数式も当たり前のように羅列されている。
しかし、本書には私が長年不思議に思っていた「ブラックホールの蒸発・ホーキング放射」の記述があり、ぜひ理解したいと思い購入したのだ。

理論物理学は知的好奇心をくすぐってくれる。
本著のような良書によって理論物理学の門をたたく若者が増えることは大いに望むことである。

(A)

2009/02/02

新潮文庫『「死の医学」への日記』柳田邦男 著 を読む

この著書は1996年に新潮社より単行本として発刊され、1999年に文庫本となったものである。

主に末期ガン患者をレポートし、その死を見つめる。
末期ガンでなくても死に向かってまっしぐら、という患者は多く存在すると思うのだが、やはりガンに対して日本人が持つ感情を考えると死を避けられない病気=末期ガンとなるのであろう。

死は父が亡くなってから人事ではなくなったように思う。
人生の折り返し点を回って、いつまでも先送りには出来ないものだと感じる。
もちろん、私はたぶん末期ガンに侵されていないし、事故でもない限り今日明日中にこの世に別れを告げることはないと思う。
しかし、10年後はどうなんだろう、20年後は、そして30年後、40年後は。
子どものころの10年はとてつもなく永かった。
しかし、その10年を経験してきたことによって加速度的に、相対的に歳を取るのは早く感じられる。
歳を取るという感覚は足し算ではなく、掛け算なのである。
となると、もう自分の死を、自分はどう死ぬかを考えてもおかしくない歳なのかもしれない。

著者は末期ガンというごく短い時間を突きつけられた患者たち、見つめる医師や看護師たちを特別なものとして書いたのだろうか。
末期ガンにならなければ不死であればそうなのだろう、しかし、人間は生まれたときから1秒1秒死へ向かって歩んでいくのである。
いつかは迎えるその死を、そのときが来てから慌てふためくのではなく、逃れようと無駄な努力をするのでなく、冷静に迎えて大切な時間をすごすべきなのである。

いや、健康でいる今この時間もそうではないだろうか。
ただ漫然と生きていき、「あなたの命はあとこれだけです」と宣告されていき方を変える、そんなバカなことがあるだろうか。
いつでもしっかり生きていこう、この著書は末期ガンを例にそういっているのだと思う。

(A)